小説

『ひと花咲か爺さん』宍井千穂(『花咲か爺さん』)

『From:神
 件名:あなたの人生に、一花咲かせてみませんか?

おめでとうございます!厳正な抽選の結果、あなたがパッとしない人生を送っている人間代表に選ばれました。つきましては、わたくし神から直接アドバイスがもらえるという貴重な権利を獲得されたことになります。下記のURLをクリックすれば、すぐに神があなたの家に訪れます。』

 珍しくスマホがメールの着信を告げたと思ったら、なんてことはない、ただの迷惑メールだった。神からのメールという設定は目新しいが、宗教団体の勧誘か何かだろうか。パッとしない人生を送っているのは確かだが、余計なお世話だ。
 それでもなぜかこのメールから目が離せなかったのは、「人生にひと花咲かせる」というフレーズのせいかもしれない。素晴らしい人生などとっくに諦めたはずなのに、心のどこかでは誰もが羨むような生活を送ることを夢見ている。そんな俺の浅はかさが、なけなしの理性を吹き飛ばす。
 画面をスクロールして、URLを表示させる。これを押せば、俺の人生も少しは変わるのだろうか。
 変わる、変われない、変わりたい。俺を誘うように文字列が青く光った。
 思えば、俺の人生なんて、1分で説明できるほど薄っぺらなものだ。平凡な家庭に生まれ、勉強もスポーツも普通の出来。なんとか頑張って二流大学に入ったけれど、就職に失敗。今はアルバイトでどうにか食いつないでいる。貯金はなし、彼女もいない。以上。
 俺の実力はこんなものじゃない、たまたま運が悪かっただけだ、今はパッとしないが、いつかきっといい方向に傾くはず。……いつかって、いつだ?
 いつも言い訳ばかりして、ずっと同じ場所で足踏みをしている。ここじゃないどこかに行きたいのに、どこにも行けない。そんなのは、もううんざりだ。
 俺の人生は、今から変わるんだ。
 俺はURLをクリックした。次の瞬間画面が白く光り、眩い光に包まれた。神々しい、光。だがすぐに光は消え、画面には元のメールが表示された。またURLをクリックしてみるが、何度押しても変化はなかった。
 馬鹿馬鹿しい。膨らんだ高揚感が一気にしぼんでいく。結局、変わりはしないのだ。ただの儲け話などないという世の中の掟も、俺の人生も。変なサイトに飛ばなかっただけ、良しとしよう。
 スマホを放り投げ、『面接術』とデカデカと書かれた本にもう一度目を通す。明日は大事な面接がある。希望していた営業の仕事ではないが、文句は言えない。とにかく安定した職につかなくては。
 付箋が貼られたページをめくって『レッスン1:第一印象が全てを決める』を読み始めたところで、古ぼけたチャイムの音が鳴り響いた。もう夜の10時を回っているというのに、一体誰だろう。まあ、いいか。面倒臭い。
 居留守を決め込み寝転んだが、相手もなかなかにしつこい。最初はチャイムの音の余韻を感じられるほどの間隔で押していたが、そのうち俺が出てこないのに苛立ったのか連打し始めた。音が何重にも重なって、絶妙に耳障りなハーモニーを奏でている。普段ほとんど出番のないチャイムだが、これには堪らず苦しそうな声を上げている。

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