小説

『ひと花咲か爺さん』宍井千穂(『花咲か爺さん』)

 ついに面倒臭さを苛立ちが上回り、立ち上がって勢いよくドアを開けた。どうせ大家のばあさんか、宅配の男だろう。そう思っていたのに、目の前にいたのはそのどちらでもなかった。肩まである白髪と長いあごひげが特徴的な見知らぬ爺さんは、俺の顔をじろじろ見ながらシワシワの口を開いた。
「どうも、神です」
 俺は反射的にドアを閉めて鍵をかけた。一瞬の間を置いて、爺さんは何事かを叫びながらドアを叩き始めた。
「な、なんで閉めるんじゃ!」
「自分を神だっていう危ない奴を部屋に入れられるか!」
 どうして俺はこうツイていないのだろうか。早く警察に通報しよう。スマホを取りに行こうとしたところで、ふとさっきのメールを思い出した。
『下記のURLをクリックすれば、すぐに神があなたの家を訪れます』……神?
 爺さんは一層声を張り上げて話し始めた。
「お前さんがわしを呼んだんじゃないか!メールで、ひと花咲かせてみませんか、というのに反応したじゃろう!パソコンの神からユーアール……なんとかが押されたと聞いたから、せっかく来てやったのに」
 確かに辻褄は合っている。もしも、万が一、あの爺さんが神だというなら、拝み倒してでも家に入ってもらわなくては。だが本当に神がいたとして、人の家に押しかけるものだろうか。しかもチャイムまで連打して。やっぱり、悪質ないたずらか詐欺か。考え込んでいる俺をよそに、爺さんは喋り続ける。
「じゃあもういいもんね、他にもわしに来て欲しいっていう人間どもはたくさんおるし。わしはもう行くよ。あーあ、可哀想にのぉ。こんな幸運なこと二度とないじゃろうに。本当に、もう、行くって言ったら行くぞ。本気じゃからな」
 拗ねた声で「もう行く」と繰り返しながら全く立ち去る気配を見せない爺さんに、ついに根負けしてしまった。鍵を開けてほんの少しだけドアを開けた。爺さんは一瞬ほおを緩めたが、すぐに眉間にしわを寄せてむっつりとした顔に戻った。
「……本当に、神なんですか」
 疑うような視線を向けると、爺さんはムッとしたように反論してきた。
「失敬な。わしは神じゃ。それ以外の何物でもない」
「じゃあ、証拠見せてください。人間にはできないことやってくれたら、信じます」
 爺さんはしばらく苦い顔をして考え込んでいたが、腰についた巾着から灰色の粉のようなものを取り出した。少し摘んで、パラパラと通路にまく。瞬間、分厚いコンクリートの床があっという間に色とりどりの花に包まれた。パンジー、ひまわり、チューリップ。名前を知らないような花まである。
 近寄って触ると、どれも間違いなく生花だった。雑草すら生えないだろう灰色の大地に、しっかり根を張っている。呆気にとられた俺に向かって、爺さんは得意そうに言い放った。
「これが神の力じゃ」
 本当に神だったのか……。爺さんの方を見ると、心なしか神々しさが増しているように見える。俺は小さな花畑に膝をつくと、床に埋まりそうなほど頭を低く下げた。

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