小説

『裏島物語』高崎登(『浦島太郎』)

 おかめは松林を抜けていった。地平線に沈む夕日が赤い光を忍ばせていた。

 流人と別れたおかめは、小太郎と老いた義父母が待つ家へ向かった。足取りは重い。疲れがたまっている。海人漁でできた縄ダコが痛々しい。これを見るたびに、女としての自分が、風に吹かれて消えていく砂絵のようで、さみしくなる。
おかめは胸が苦しくなった。三平にしたがい、素性の知れぬ都の男にへつらい、金銭をねだり、それでも残された者は歯を食いしばって生きていかねばならぬ。小太郎のためだ。一人息子を失った義父母のためだ。もっと言えば、帰ってくるかもしれない太郎のためでもあった。そうは言いながら、理屈じゃない感情にふと襲われ、いっそ海の藻屑になったほうが楽だろうと自棄する気持ちになることも、一度や二度ではない。
「小太郎」
 向こうから、爪を噛みながら立っている息子の姿が見えた。母の帰りを待ちわびたのか、家を出て迎えにきたらしい。
「待ってろって言ったじゃないか」
 そう言いつつも、甘えてくるわが子への愛おしさがこみ上げてくる。
 ふと、松林の向こうの砂浜で、わいわい騒ぐ子供たちの声が耳に届いた。
「亀だ」
 おかめは小太郎のつぶやきをうけ、砂浜のほうに目を向ける。数人の子どもたちがよってたかって小さな亀をいじめていた。
「こら! お前たち、やめないか!」
 おかめはそう叫びながら砂浜に走っていき、亀をかばうように子どもたちの前で仁王立ちした。
 見ると、亀が甲羅を砂につけてもがいている。小さな体をひっくり返してジタバタするところを見て楽しんでいたらしい。
「あ、三平の嫁だ」
「なっ」
 おかめは絶句した。
「まだ嫁じゃないべ」
「でもそのうち嫁になるべ」
「だまれ!」
 そう叫ぶ口元は震えている。
「かめが亀を助けに来たぞ」
「亀の嫁入り、婿は鼻毛の三平」
 げらげらと笑いながら子どもたちは走り去った。
「おっかあがなんで三平の嫁だ?」
「たわごとだ、忘れっ」
 おかめはそう言うと、ひっくり返った亀をやさしく起こした。
「もう、あんな連中に捕まるんじゃないぞ」
 亀を抱き、海にそっと返してやった。
「おっとうはいつ帰ってくるだ」
「お前が悪いことせず大きくなるのが先だ。そしておっかあと一緒に漁をやるようになって、こんなでけえ魚釣るころには、帰ってくるさ」
「ねえ、おっとうに会いにいけねえのか」

1 2 3 4 5 6 7 8 9