小説

『アリとキリギリス』朝霞(『アリとキリギリス』)

「『アリ』モデルは基本的に、すべての個体が、女王となる人間の遺伝子をベースとしてアリの特徴を組み込んで作製したクローンです。このとき、女王には逆らわないようプログラムされています。本研究でも、『キリギリス』より女王の命令が有効であるか検証するため、『キリギリス』と接触した『アリ』に『キリギリス』を捕食するよう命令し、従うことを確認しました。後日、エビデンスとして映像をデータベースにアップロードする予定です」
「ご回答ありがとうございます。質問者の方、よろしいですか? では他に、質問のある方」
 司会の言葉に勢い良く手を上げたのは、研究発表会場の最前列に座った男だった。
「『キリギリス』を喪った『アリ』がとても辛そうなんですが、このような研究は倫理的に問題があるのではないですか?」
「本研究では、『キリギリス』との死別体験による『アリ』の精神的苦痛を最小限に抑えるため、『キリギリス』を二年目の『アリ』の居住区に投入しています。『アリ』の寿命は一般に一~二年であり、短命な『キリギリス』との死別の苦痛が長く続かないようにする配慮です。『アリ』が死ぬ直前に抑うつ症状と類似した状態を示しましたが、寿命であった可能性もありますので、死因をストレスと断定はできないでしょう」
「いえ、そもそも、こういった研究を行うことをですね、あなた、どう思ってるんですか? 見た目はほとんど変わらないわけじゃないですか、人間と」
 発表者は苦笑いすると、
「本研究は責任者である私の所属機関に設置された倫理委員会に研究計画を提出して承認を受けておりますので、手続きとして問題があったとは考えておりません。『労働人財』の研究そのものについてどうか、とおっしゃるなら、それは科学政策とか科学哲学の問題になってきますね。私個人としては、労働力不足を解消し、人類に大きく貢献する研究であると考えています。それとも、かつて我が国に蔓延していたような、貴重な労働力を安く使い捨てるやり方が正しいとお考えですか? 『労働人財』はダメで非正規なら使い捨てて善いとでも?」
 答えに窮した男を尻目に、司会がまとめに入った。
「それでは、時間も迫っておりますので、ここで発表を終了させていただきます。先生、貴重なご報告をありがとうございました」
「先生」と呼ばれた研究者が微笑んで答える。その顔は、映像の中の「アリ」たちとまったく同じ顔をしていた。
「皆様、ご清聴ありがとうございました」

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