小説

『花咲か姉さん』黒髪桜(『花咲か爺』)

 だからこそ、姉さんが結婚すると言ったときは驚きました。
 私は、少し勘ぐっていることがあるのです。それは、姉さんが無理をして結婚をしたのではないか、ということです。姉さんは、父さんの会社や家族のために吉澤さんと結婚したのではないですか。望まない結婚だったのではないですか。
 あの日、別れ際に放った言葉は本心だったのですか。

 姉さんは高校を卒業すると、父の会社で働き始めた。不況の煽りを受け、業績が芳しくなくなっていた会社を立て直そうと、事務仕事の傍ら父と一緒に全国を飛び回っていた。
 その頃には、姉さんは気楽に家族と接してくれていたように感じる。相変わらず無表情でいることが多かったが、他愛もない話をすることも、私とは冗談を言い合ってふざけあうことだってあった。
 由紀子ちゃんとの一件以来、姉さんはあの力を滅多に使うことはなかった。私がその理由を聞くと「むやみやたらに使うものじゃないのよ。そんなことをしたら、きっとバチが当たっちゃうわ。」と言った。私はそれをもったいないとも思ったが、姉さんの考えを何より尊重したかったので、それ以上は何も言わなかった。
 私たちの関係は実の姉弟のようであったし、私は姉さんと家族であることに喜びを感じていた。
 そんな日々が急変したのは、数か月前のことだ。ある日突然、姉さんが結婚して家を出ていくと言ったのだ。それには家族一同、大変驚いた。何の前触れもなければ、姉さんの口からそんな話を聞いたこともなかったし、第一、姉さんが家族以外に心を開いたことが衝撃だった。
 結婚相手の吉澤さんとは、東京で出会ったという。取引先の会社の代表で、姉さんよりも歳は一回り上。私も一度だけ会ったことが会ったが、気の良いおじさんといった感じの人だ。
 姉さんが家を出ていく時、玄関先で別れを惜しんだ。初めて会った時とは違い、姉さんは晴れやかな表情で私たちに頭を下げた。
「今まで、お世話になりました。ご恩は一生忘れません。」
「いつだって、帰って来ていい。ここは、椿の実家なのだから。」
 父は、目頭を押さえながら咽び泣いていた。私には、姉さんの目も潤んでいるように見えた。
「私を家族にして下さって、本当にありがとうございました。」
 絞り出したような、か細く震えた声だった。そして姉さんは、今にも泣き出しそうだった私の方に歩み寄り、抱きしめてくれた。さらに、私の肩に顔を乗せ、耳元でこう囁いてくれた。
「悟、心配しないで。あの人は、家族と同じ言葉を言ってくれたの。『素敵な力だ。』って。だから確信したわ、吉澤さんとなら幸せに暮らせる。私は、もっと幸せになりにいくのよ。」
 その時の姉さんの横顔は、微笑みに包まれていた。

 あの時の姉さんの笑顔を、今でも鮮明に思い出します。それは屈託なく満開に咲き誇る花のようでした。そしてあれは、きっと本心から出た言葉だったのでしょう。

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