早めに仕事を切り上げ、家路につくことにした。まだ五時過ぎだというのに、茜の余韻だけが空に広がっている。
いつもなら仕事が終わった後も、店主にお願いして修行を見てもらう。店に出るころには、外は暗闇に包まれていることがほとんどだ。一人前の和菓子職人になるには時間と労力を惜しんではいけない、という店主の言葉を大切にしていた。
日没もこんなに早くなっていたのか。
私は、季節が巡る速さに少し戸惑った。
自動車部品の下請け企業を経営する父も、最近は帰りが遅い。休日を返上することも珍しくないのだが、今日は早く帰ると言っていた。
今日は家族揃って食事をしよう、と母から連絡があったのだ。今日が特段何かの記念日というわけではない。仕事に根を詰め過ぎず、たまには早く帰って来て一家団欒といこう。そんな母の気遣いなのだろう。
白い息を弾ませ、私が家の玄関先に辿り着いた時、扉の前に制服姿の少女が立っていた。制服から見るに、地元の高校の子だろう。
その少女は、右手を呼び鈴に伸ばしては引っ込め、伸ばしては引っ込めを繰り返している。こちらに背を向けているので、顔はよく見えない。
「うちに用ですか?」
少女は、ビクッとして私の方を振り返った。
「あ、悟さん。こんばんは。」
少しだけ見知った子だった。うちの近所に住んでいて、母親同士仲が良いので、私も彼女と面識があった。そうか、もう高校生になったのか。
「由紀子ちゃん、どうしたの。母さんに用でも?」
「いいえ。あの、その、椿さんが、結婚されたと聞いて。」
彼女は、そっと手袋をした左手を私に伸ばした。その手には、小さくて透明な袋がのっていた。
「結婚祝いに。こんなもので申し訳ないんですけど、あの時のお礼も兼ねて。」
あの時のお礼。
たったそれだけの言葉に、私の記憶は大いに刺激された。
もう随分昔の話だ。相変わらず由紀子ちゃんは律儀で優しい子だ、と私は思った。
「もう姉さんは家を出て、東京で暮らしているんだ。せっかく来てくれたのにごめんね。」
「そう、なんですか。」