「着飾って、お金持ちと結婚して、子どもを持つのがそんなに偉いことなの? 主任とあのおばさんが仕事中にくだらない話で盛り上がっている間に私は正規じゃなくても1つも2つも仕事をしているのに?」
それは若い女性の声で、桐恵の声ではなかった。
今の時間は昼食どきで、屋上へ設置された天体観測のできる簡易ドームを使う誰かがいるなどとは思いもしなかった。桐恵はびっくりすると、声のする方へ視線を向ける。
「迎えに来るのがすっかり遅くなっちゃったね」
屋上へ続く扉の前から1人の女性がウェーブのかかったロングの髪を揺らしながら桐恵のいる階へ降りてくる。金色と呼んで差し支えない髪は真っ白に透き通るような肌と相まって「美しい」という以外の形容詞が出てこない。
「ごめんね」
と詫びる女性の服装は白いファーと金色のベルトのついていて、サンタドレスのようだった。ただ1点、彼女のドレスが真っ黒である点を除けば。
桐恵は声をかけられた時よりも驚いて、彼女の名前を口にした。
「クロエ……さん?」
桐恵がクロエと初めて出会ったのはちょうど20年前のことだった。
よく晴れていて、気温もさほど低くない暖かな日だったが、そろそろ日が暮れるという時間帯。桐恵は女の子らしいピンクの手提げ鞄を公園のベンチへ置き、その横に腰をかける。
そろそろ家に帰らなければならない、と桐恵はベンチから立とうとする。
でも、家にも帰りたくない気持ちが強くて動けないでいた。
「ママや先生の言うことを聞いて、困らせないで、大きくなることがそんなに幸せなことなの? ピアノだって習いたかったわけじゃない、この鞄だって隣で売られていた薄いブルーの鞄の方がよかったのに?」
それは若い女性の声で、まだ子どもの桐恵の声ではなかった。
街頭に明かりが点きだし、もう少しで日が暮れる時間で遊んでいる子も健康の為に犬と散歩に来るおじいさんもいないと思い込んでいた。桐恵はびっくりすると、声のする方へ視線を向ける。
「ごめんね」
と詫びる彼女の服装は白いファーと金色のベルトのついていて、服の色さえ赤かったらサンタクロースのお姉さんのようだった。勿論、暮れてきていたから暗がりではあったけれど、確かに真っ黒だった。
「急に声をかけて。私はクロエです。貴方は?」
公園の入口に設置されたピコリーノの前から1人の女性がウェーブのかかったロングの髪を揺らしながら桐恵の傍までやってくる。揺れている金色の長い髪はとても綺麗で、昔、家を出た父が母に内緒で買ってくれた人形のようだった。