小説

『キリエの匣』三觜姫皙(『クネヒト・ループレヒト(黒いサンタクロース)』)

「お待たせしました、クロエさん」
 事務室を後にした桐恵はクロエの待つ駐車場へ向かった。事務室のある本館の玄関を出て、その裏手にある関係者用の区画線。そこには真っ白なオープンカーが1台だけ停まっていた。クロエの愛車だろうその車は持ち主を思っても、見劣りがないものだ。
「ああ、桐恵ちゃん。仕事が終わってからでも良かったんだよ? 20分どころか、20年も待たせていたんだから」
 桐恵を見つけると、クロエはすぐに真っ白な車から降りて、ドアを開けてくれた。20年も待たせていたからと言うクロエの手は20年前と変わらず、シワ1つシミ1つとしてなかった。それだけではない。形そのものが整っていて、コマーシャルメッセージの中で活躍するパーツモデルも勝てないくらい綺麗だった。おまけに、昔、父に買ってもらった人形と同じように上品に波打った長い金の髪。ニキビやシミが全くない白い肌。顔立ちも整っているのだが、その顔部から始まる8頭身のスタイル。全てが20年という時を感じさせない上に、厳選された最高級のもので構成されているように桐恵には思われた。
 ただ、肌と同じ色のファーと髪と同じ色のベルトが光る真っ黒なドレスはまさしくドイツの古い言い伝えに出てくるというクネヒトルプレヒト。黒いサンタクロースのようだった。
「私は悪いヤツですね」
 桐恵もクロエも車へ乗り込むと、クロエは茶色の革であしらったハンドルを左へと傾ける。
「ん? どうして? あの時みたいに仕事、途中で抜けてきちゃったから?」
「ふふ。そう言えば、クロエさんと初めて会った時もピアノのレッスンの途中で抜けたんでしたっけ」
 クロエの言葉に、桐恵は懐かしい、というように笑うと、クロエのことに話題を向ける。
「悪い子の元へは赤い服のサンタじゃなくて、黒い服を着たサンタが来るんだと母が言ってました。だから、クロエさんを初めて見た時は黒いサンタクロースが来たんだと思った」
「そうだったね。でも、桐恵ちゃんは良い子だったから石炭の代わりにダイアを渡してあげたかった。じゃが芋の代わりに綺麗な人形が入った箱をあげたかった。あの時は受け取ってはもらえなかったけど」
 良い子、というクロエの言葉に。桐恵は月並みな表現ではあるが、胸がいっぱいになった。人は自分の欲しかった言葉をもらえた時、その文字通り、胸がいっぱいになって、目蓋と鼻の奥が熱くなっていく。
「それは20年が経った今もそう。子どもの看病で寝ていないとか頭が痛いとかうだうだ言いながら仕事しているおばさん。貴方の結婚相手を勝手に決めてしまう母親。みんないっそのこと死んじゃうか、一生黙ってしまうくらい不幸な目にあえば良いのにと思ってしまっても、桐恵ちゃんは悪くない。善人でも悪人でも人なら誰でも違うと否定しても、そう思ってしまう」

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