小説

『蜜柑伯父さん』吉岡幸一(『こぶとりじいさん』)

 頬に成った蜜柑を取らないでおくとどうなるのか、といえば腐っていき頬から落ちていきました。ただ腐って捨てるまでもなく、 頬の蜜柑は食べればどこの蜜柑にも負けないほど美味しかったので、もったいなくて捨てるということは出来ませんでした。
 それでも我が家だけでは食べきれるものではありません。いくら蜜柑が好きだからといって、毎日食べるわけにもいきませんでした。

 伯父さんは常々「世の中の役に立つようなことをしたい。多くの人に喜ばれるようなことをしたい」と心から言っていましたが、頬に蜜柑が生るというのを知られるのを恐れて人前に出れずにいました。外に働きに出ることもなく、ほとんど一日自分の部屋に閉じこもっていたのです。
「昔話のこぶとり爺さんみたいだね」と、言ったとき伯父さんは悲しそうな顔をしていました。よほど気にしていたのでしょう。
 あるとき、伯父さんは家の前にある空地に折りたたみ式の机を置いて、蜜柑を配りはじめました。もちろん普通の蜜柑ではなく、伯父さんの頬から採れた蜜柑です。
「美味しい蜜柑なら、たくさんの人に食べてもらいたいからね。僕が人のために出来ることと言ったら、それくらいしかないから」
 伯父さんは照れくさそうに言いながら、並べた笊のなかに蜜柑を置きました。
 蜜柑は艶々として新鮮で美味しそうに見えました。近所のスーパーで売っている値段の高い蜜柑よりも美味しそうでした。
 最初は近所の人も横目で見ながら通り過ぎていましたが、無料と聞いて、ひとりが貰っていくと、つぎつぎに皆貰うようになりました。見た目もきれいで味も申し分がない蜜柑を貰えるのですから、人が群がるのも自然なことでした。

1 2 3 4 5 6 7 8 9