小説

『大晦日の夜』太田純平(『藪入り(落語)』)

 キッチンカウンターの下から酒瓶を取り、本当にすき焼きセットの脇に並べていく健作。そんな落ち着かない彼をよそに、テレビから流れる歌合戦は順調に進行しているようである。しかし大輝が帰って来た気配を見逃すまいと消音にしてあるから、せっかくの歌合戦の甲斐が無い。
 ――と、不意に玄関からガチャガチャと鍵を開ける音がした。
「おっ、帰って来た」
 真っ先に郁子が言って玄関のほうへ。一方の健作は途端に狼狽し、座ったり立ったり勝手に忙しい。結局ソファに腰を据えて、新聞のラテ欄をわちゃわちゃめくると、これといった見込みも無くテレビをザッピングした。
「お帰り」
 奥から出迎えに行った郁子の声がして、やがてリビングにスラッとした今風の若者が姿を現した。父も息子もすぐには声が無い。チャンネルを歌合戦に戻した健作が、ようやく息子のほうを見て「おう」と一言。それに大輝が「ども」と返す。
「アンタどうする? 先お風呂入っちゃう?」
 郁子が訊くと、大輝は「そうね、そうする」と答えて、着ていたグレーのダウンジャケットを脱いだ。郁子が受け取り和室のハンガーに掛けると、大輝は荷物を置いて、そそくさと脱衣所のほうへ行ってしまった。
 風呂場の扉がガコンと開く音。大輝がシャワーを浴び始めた頃、ようやく健作の饒舌が戻って来た。
「アイツ背伸びたんじゃないか?」
「そう?」
「ダメだね母さんは、気付かない?」
「29にもなって身長って伸びるもんですかねぇ」
「伸びるんだよ男は――」
 郁子は答える代わりに小首を傾げると、やっと来た主役のために台所で支度を急いだ。
「アイツ明日予定はあんのかね」
「さぁ。無いんじゃない?」

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