小説

『大晦日の夜』太田純平(『藪入り(落語)』)

「母さん」
「ハイ?」
「財布」
「え?」
「俺の財布、ちょっと持って来て」
 自分で行けよという抗議を「キッ」と顔で表現すると、郁子は健作の部屋へ向かった。待っている間、健作は何を思ったか、息子の鞄をまるで盗人のように静かに開けた。なるべく散らかさないようにと慎重にまさぐる。
「勝手に開けると怒るわよ?」
 戻って来た郁子が目撃して咄嗟に咎めた。
「アイツの財布に、カネでも入れてやろうと思ってさ」
 健作が言って息子の鞄から財布を探し当てた。ここまでは父親の優しさが垣間見える一幕だったのだが――。
「!?」
 すっからかんという予想に反し大輝の財布はどうにも分厚かった。黒い長財布で見た目はくたびれている。しかし粗末な外見とは裏腹にその厚みは裕福そのもの。まるでちょっとした羊羹である。事実、健作が恐る恐る大輝の財布を開けると、中には紙幣がビッシリと詰まっていた。ざっと指でなぞっただけでも数十万円はありそうに思える。
「か、母さん!?」
 健作が財布の中身を見せると、郁子は「アラ、ずいぶんと……」と老眼を細めながら漏らした。
「アイツ、何かやらかしたんじゃないか?」
「何かって?」
「銀行強盗とか」
「まさか」
「だってこんな現金、普通持ち歩く?」
「お正月だから、念のためにおろしたんじゃあ――」
「それにしちゃあ金額が多過ぎるよ。だってウン十万だよ?」
 疑惑の金。しかし二人がさらなる調査を始める前に、風呂場の方からガチャっという音が聞こえた。昔から大輝はいわゆるカラスの行水だった。

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