小説

『カンタービレ機関車』洗い熊Q(『とむらい機関車』)

 だがそこから救い上げてくれたのが幼少から嗜んだ音楽でありハロルドとの出逢いでもある。

 あの幼少頃、サロンでの演奏での周囲の笑顔。そして今、目を閉じて聞き惚れてくれる小さな案内人の微笑みも彼女にとっては掛け替えのないものに変わりなかった。
 閑散な雰囲気の変哲のない道端。石畳に彼女の音は響くでなく染み渡る。それは潤う通り雨の様に清々しく降る。馬の蹄、人の足音、遠目から聞こえる雑踏の声。そのノスタルジーな色合いに曲は寄り添って行くのだ。
 でも囚われているだけでない。先へと歩む道標は確かにある。そう夢があるのだ。彼女の願いはハロルドとのコンチェルト。大きな楽団と供に、大勢な観客を目の前にと。

 

 何が人々にそう呼ばせるのか。課程なのか発端なのか。ただ言えるのは十二分に心情を汲み取って発した言葉なんだろうと。
 機関車が登場した時、前時代に比べれば旅に出る事は敷居が低くなっただろう。移動日数の減少は身体に、そして心理的にも金銭面から見ても負担の軽減になる。日帰り出来るなら夜空の下で寝るなんて心配がない。
 しかしそれだけで危険の回避には成らない。それに不可欠なのは情報だ。
 現代は情報の世界。見ず知らずの土地でも画面の向こう側に幾らでもそれが転がっている。人伝、本にだってそれはある。では昔は?
 本は有ってもそれが正確かどうかなんて星で評価する何てなかった。人伝と言っても現地に行った人間と出逢うなんて稀だ。噂程度でも聞くなんてのも限りある人だったろう。
 今の時代に普通と思える事は希有なのだ。それでも人の欲求は変わる事はない。
 情報それ自体に価値があるとは思えなかったろう、それを伝播する媒体に価値を見出した。
 そう人間だ。虚ろな話しよりもそれを言い伝える者が財産。人同士の繋がりに価値があった。“出逢う”というのが宝だったんだ。
 今はクレジットカード一つで旅が出来るなんて謳い文句があるが、実際には一人では持ちきれないアタッシュケースに荷物満載、準備万端。予期せぬ自体に備え金銭も余分に。実物の金でなくてもデジタルに変えた金を沢山抱えて旅立つ。
 本当にトランク一つで旅に出る。それは昔は出来たがという訳ではない。今が出来ない時代なんだ。

 目的が違う、志が違う。
 その土地、景色を見るだけの観光ではない。見ず知らずの人に、見ず知らずの土地への旅路。如何ばかりの不安も恐怖もある。でも旅立つ。それが有るのは分かり切っているんだ。
 そんなものは鼻歌交じりに吹き飛ばして、その先にある“出逢い”に心を躍らせて。トランクの中には替えの下着ではなく、その繋がりを呼び込む物を一つだけ。
 それは人其れ其れ。一つの例を挙げるなら、それが“音楽”だと言えるだろう。

 

 それはステラの夢だ。

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