小説

『僕と苗』(『ジャックと豆の木』)

 朝六時半、あくびをしながらシャッターを上げる。すると、薄暗かった店内に、目が眩むほどの光が差し、目が覚めるような蝉の声が聴こえてきた。静かに眠っていた花たちも目を覚ましたようだ。
 ここは花屋「Jack’s Flower Garden」。妻の両親から受け継いだお店だ。四季折々で変化していく品揃えを見ていると一年があっという間に過ぎていく。それでも鮮やかに彩りが移り変わる店内を見ているのは日々楽しいものだ。
 太陽が頭の真上に差し掛かる頃、じりじりと照り付ける日差しに包まれながら、今日何度目かになる、水やりをしていると、体の大きさに似合わない朝顔の鉢植えを持った小学生の男の子が元気よく通り過ぎていく。そろそろ子供たちは、待ち遠しかった夏休みが始まるらしい。
 終業式を初めて経験した日、僕はあの元気な男の子のように街中を颯爽と歩くことはできなかった。僕は典型的なダメ小学生で、両手いっぱいに荷物を抱えて下校する羽目になったからだ。何回にもわけて、荷物を計画的に持ち帰らなかった自分に、そして照り付ける暑い日差しに怒っていた。引きずってしまう体操着袋を何度も持ち上げながらノロノロと歩いていた。そして、へとへとになりながら家に着くと、田舎にいるはずの祖父母が家に遊びに来ていた。帰ってきた僕に気づいたおばあちゃんは、冷たい麦茶を入れてくれた。麦茶を飲み干して一息ついた僕におばあちゃんは話し始める。
「畑のね。豆を育てていたところから、見たことのない芽が出てきたのよ! ほら、これがその苗」
 と言って苗を見せてくれた。興味深げにのぞき込んでいる僕に、母は、
「育ててみる?」
 と尋ねた。僕は大きくうなずいた。昔から僕は何をやっても三日坊主だった。自分に育てられるだろうか。しかし、豆という言葉を聞いて、僕の心は躍り出した。僕は「ジャックと豆の木」という本に魅せられていたのだ。天高く伸びる豆の木。空の向こうには新しい世界が広がっているんじゃないか、と空を見上げるたびにそう思っていた。
「夏だから毎日水をあげること。それと、これを十日に一回あげること。この二つを守れたら大きく育つはずだよ」
 と言って母は僕に緑の液体を渡した。僕はそれが豆の木を大きくする魔法の薬なのだと密かに思っていた。
 僕は母との約束通り、毎日水をあげて、十日に一回、あの魔法の薬をあげていた。しかし、小さな苗は一向に大きくならなかった。それでも、明日には大きくなっているかもしれないと信じて、毎日、水をあげ続けた。両親に、旅行に行こうといわれても、バーベキューに行こうと誘われても、
「嫌だっ! 行かない」
 と言って全部断った。一分一秒でも僕は苗と離れたくなかった。一瞬でも離れてしまったら、枯れてしまうような気がしていたのだ。
 夏休みが半分終わった頃、僕は、幼馴染のあーちゃんとケンカした。きっかけは、あの少し成長した苗だった。水やりをしていた時、僕はあーちゃんに、
「この苗は大きく育って、いつか空まで伸びるんだ」

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