小説

『カンタービレ機関車』洗い熊Q(『とむらい機関車』)

 靡くボンネットに手をやりながら彼女が答える。そうね、こっち。
 彼女が指差したのは風が吹く方向だった。
 何故かと聞くと彼女はこう答える。匂いがするのだと。そして彼は訊き返すのだ、何の匂いかと。

 ――人の香りがするの。
 ――そうか。じゃあ逢いに行こう。

 熱しられた水蒸気がまた息吹を上げている。確かめる為の汽笛さえも力強い。機関室から野兎機関士が手で合図を送った。
 それを見て野兎車掌が声を上げるのだ。
 ――ALL abooard!(発車するぞー!)
 こうして向かうのだ。歌う様に旅立つ人を乗せて機関車は勢い良く動き出していく。彼等が持つのはたった一つのトランクだ――。

 

 (一つ捕捉するなら二人の選曲は時代背景に合っていない。ドビッシーもラヴェルも正確には二十世紀に近い。でもまあ空想の世界。その辺は大目に見て貰おう)

 

 出掛け先で偶然、奴に会った。そうだ真夜中に俺にあの謎をふっかけてきた彼奴だ。
「おう、電話しようと思っていたんだ」
「よう、久し振りだな」
 久し振り? この間に電話してきただろう。
「この間言っていたカンタービレ機関車なんだが……」
「カウンター? 何だそれ?」
 俺と同じ間違いを。冗談にしても、その素っ惚けた顔を見てぶん殴りたくなった。
「いや、お前が推理しろって……」
「その話長いか? これから急いで向かわなきゃならないんだ。看護師と保母さん達との合コンだ。凄いだろ」
「は? いや……」
「今度はあったら誘うよ。じゃあな、またゆっくりと話しを聞かせてくれ」
 そう言って奴は野兎の様に跳ねながら走って行きやがった。

 今度は奴の頭の中を推理してみるか。いや、どうせ碌でもない結果だろう。
 まあ人に逢いに行く自体は良い事だろうとしみじみ思うがな。

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