小説

『裏島物語』高崎登(『浦島太郎』)

「そういう話は嫌いじゃない。都に帰って、土産話になる。おもしろい親子がいると。浦島太郎物語り。美しいじゃないか」
「鶴って長生きするそうだな」
 おかめは鶴を見ながら言った。
「ああ。鶴も松も、千年生きるらしい」
「気が遠くなるな」
「亀はもっと長生きするそうだぞ」
「おら、長生きしたいと思わねえ」
「お前さんほど強かったら、鶴や松といい勝負だ」
 流人は甲高く笑った。
「千年も、何も変わらないであそこに立っているのか」
「変わらないだろう。松など変わる必要もない」
 そうだろうか、とおかめは思った。松の木も、潮風を受けていれば葉も幹もぼろぼろになるのではないか。見かけは変わってないように見えて、中のほうでは何かが減ったり増えたり、あるいは落ちたり取れたり、知らないところで、少しずつ変わっていくのかもしれない。もとのかたちが本来の姿であったとしても、いまあるかたちがいまのすべてなのだ。
海も、何も変わらないように見えて、実は山の川や天の雨が加わり混ざり合い、絶えず移ろっている。
 流人はそんなおかめの考え事には気づかず、調子よく笑いながら松林を抜けて行った。
 鶴は枝から離れ、空に大きく弧を描いて飛び去った。海のほうへ消えていく姿を、おかめはじっと見つめていた。

 次の日、おかめは流人からあずかっていた絹の服を売った。
 以前、生地商人に見てもらったところ、かなりの値打ちになることが分かった。おかめはその場で売りたい欲にかられたが、さすがにそれはこれまで世話になったことを考えるとためらわれた。が、流人が都に帰ることになり、このまま消えてくれたらこの絹は自分のものになったも同然である。幸い、流人は手直しの確認も催促もしてこない。忘れたのか、それとも、自分の気持ちを汲んで忘れたことにしたのか。もはやどちらでもよかった。
 この金で船を買おう。そしてみるを誘うのだ。一緒に海人をやろうと。ほかの国では、女ふたりで海人をやっていると聞く。夫を失った女たちにとって、海女になるのはむしろ自然な道だった。
 黙って服を売られたことを知ったら、流人は怒るだろうか? まあいい。そのときはそのときで、お金をためて返せばよいのだ。このまま三平の奴隷でいるのを我慢するよりはましだ。もはやおかめに迷いはなかった。

 出漁前、おかめは三平と話をし、別の船でやっていくことを告げた。三平は「そうか」と一言もらすだけだった。貸しだの恩だのうるさく言い立てるかと思いきや、意外とおとなしくて拍子抜けした。その静かな様子が、かえって不気味にも感じられた。
 いつものように船は三人を乗せ沖合に出た。風はなく、おだやかで、やわらかい陽の光が海面に落ちている。三平はただもくもくと竿だけを動かし、船を進めていく。
 小太郎が飛び跳ねると、「うるせえ」とはじめて三平が口を開いた。三平の不機嫌の原因は朝の話にあるのは明らかだった。おかめはなるべく素の心を保ったが、三平の背中をみると何とも重苦しい気持ちになり、さっさと今日の仕事を終えたいと思った。
 素潜りの場所までやってきた。トマエの三平はそこで服を脱いでふんどし一丁になる。おかめは縄を引っぱり、三平のふんどしの上から縄をまく。でっぷりと張り出した腹の下にあて、慣れた手で括り付ける。へその前で縄を絡ませようとしたそのとき、三平のふとい手が伸びておかめの手首をつかんだ。
「こんな細い手して、海の仕事がまともにつとまるのか」

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