小説

『雨よ、雨よ』高橋惠利子(『Historien om en Moder』)

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 そこに意味はない
 かつて可憐な花を咲かせようとも。
 蕾に対する慈しみも、引き抜かれるであろう花に対する憐憫もあろうはずがなく。
 そして言うのだ。
 花は等しく咲いて散る、と。

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 その時、胸がちくりと痛んだ。
 己の胸に爪を立てたわけではない。柔らかく濃い茶をした土を掘り起こそうとしただけだ。
 ここに触れてはいけない、茶トラの猫はそう思った。ゆっくりと前足をおろし、地面に鼻を近づけてにおいをかいだ。土の中から柔らかいにおいがした。その理由を、猫は漠然とながら学んでいた。
 立ち去らねばならない、誰に言われたわけではないのに猫は後ずさり、やがて踵を返した。
 背後では無慈悲な死神が、泣き崩れる人間の母親を表情なく見下ろしているのだ。その母親は息子の魂を死神から救うためにこの土地にやってきたのだという。女はここに来るまでに様々な代償を支払い、今は両の目玉がなかった。目が見えないにもかかわらず、女は息子の命の花を探し出し、引き抜かないよう懇願したが、けれども死神はその命の花を引き抜いた。
 猫は一部始終を見ていた。己は人間ではなかったけれども、同じ女として胸が痛んだ。泣けぬ目から涙がこぼれたかもしれない。
 涙、ではなかった。
 猫が空を見上げると、灰色の空から雨粒がぽたりぽたりと落ちてきているところだった。
 このところ連日寒々とした小雨が降り続いていた。春の長雨は花を催すといわれている。
事実、死神の花畑には、明るい空へと自身を咲かせるために、希望を抱いている蕾が無数にある。
 雨が上がったなら、地平線の果てまで続く花畑は色とりどりの花を一斉に咲かせるだろう。けれど彼女の息子の命の花、サフランははかなくうなだれていた。
 猫はもう一度背後を振り返った。母親は顔を覆って未だ慟哭している。かつて目玉があった黒い空洞から透明な涙があふれていた。彼女を気の毒に思いはしたが、自分にはどうすることもできなかった。
 死神はやはりどこまでも無表情だったからだ。

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