小説

『雨よ、雨よ』高橋惠利子(『Historien om en Moder』)

3

 雨が小降りになってきて、やがて止んだ。
「なにを見ている」
 今日も赤いワンピースを着た老婆――のちに死神の召使いと判明――が、茶トラの猫の背に問いかける。猫は振り向かずに、相変わらずしっぽを地面にぱたぱたと打ち付けた。
 猫は両の目をなくした女が花畑を立ち去った後も、幾日もその場に座り続けていた。視線の先には、サフランを抜いたくぼみがある。猫は微動だせず、そこを睨み続けていた。
 やさしく温かいものに包まれているときに、必ず嗅いだ匂いだ。なぜ命が消えた場所からそんなやさしいにおいがするのだ。
 老婆は喉奥から奇妙なせせら笑いで、猫に背を向けた。
 彼女は背後で花の手入れをしている。そのまた向こうでは死神が、老婆と同じように花畑の中を歩き、水をやり、土をかぶせ、花柄をつんでいる。時に無造作に花に手を伸ばし、引き抜く。その時猫には、何者かの悲鳴や苦悶の声が聞こえた気がした。気のせいではないだろう。あれは命の花だ。死神が引き抜くたびに、誰かの命が消えていくのだ。
 そうして猫の子どもも死んだに違いない。
「黙って見ているだけでは答えは見つからんだろうに。故にお前はここまで来たのではないかね」
 言われて猫ははっとして顔を上げた。
 空は猫の胸中を慰めるように澄み切った青色をしている。
「お手伝いいたしますわ」
 猫は突然すくっと立ち上がった。老婆の後ろを歩き、真似る。
 花はよく手入れが行き届いていた。どの花も花柄は除去されており、茶色く変色しているものはなく、害虫被害も見当たらない。土はふっくらと空気を含み、猫の体重でさえ、脚が沈む。
 猫は老婆の指示通り、まずは口で花柄を摘んだ。むやみやたらに引っ張るせいで、健康な花も引きちぎりかけたが、とっさに口を離したのは、それが命の花だと知っているからだ。他人の命を預かっている、ふと思い出すとそれ以上、手伝う勇気がわいてこない。引け腰になり、その場にへなへなと座り込んでしまう始末である。
「花はただの花でしかないのだよ」
 老婆が素っ気なく吐き捨てた。役立たず、そうも聞こえた。

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