小説

『雨よ、雨よ』高橋惠利子(『Historien om en Moder』)

 猫の身体はすでにボロボロであった。空腹に倒れそうになるものの、目的を遂げるまでは死んでも死にきれないと思った。
「綺麗」
 猫は思わずそう洩らした。
 広がる大地に隙間なく敷き詰められた花々たちは、どうしてか同じ種のものが集まって植えられてはいなかった。コスモスの隣はヒマワリであり、その隣はスミレとタンポポというように、背丈も色もばらばらである。けれど斑な色は全体を通して見れば斑ではなく、一枚の絨毯になっていた。
「おや、めずらしいね。今日はよくお客が来る」
 くすんだ赤色のワンピースを着た老婆が、腰を屈めることなく声をかけてきた。猫は声のした方を見上げてこたえるように一声鳴いた。
「ずいぶん汚れているね。いったいなにをしに来たのだろうね」
 抜けた前歯から息を洩らしながら老婆が笑った。猫は毛が逆立つのを感じた。
「神様にお願いを。我が子を返して、と。我が子を奪った黒い鳥達の命と引き換えに、我が子を生き返らせてと」
 自分は神の地へたどり着くことができた。これは選ばれたからこそなしえたのだ。つまり、烏の死を願うのは正義だ。
「神――ね」
 老婆は喉をひきつらせた。猫は底意地の悪い老婆の視線を受けて身構える。
「そうとも、ここは神の家だ」
 猫はほっと胸を撫で下ろしたものだ。
「では、神様に会わせて下さい」
 猫は丁寧にお辞儀をした。けれど老婆は鼻で笑った。猫は喉の奥まで出かかった言葉をぐっと堪える。
「お願いいたします」
「なに、あの方は丁度来客中だよ」
 老婆は顎をしゃくった。見れば背が高く、白髪でぎょろりとした目の老人が花畑の真ん中に立っていた。彼は視線を落とし、何事か呟いている。よくよく見れば、老人の視線の先には青いサフラン――今にも枯れてしまいそうな――を庇うような姿勢で、老人を見上げている中年の女がいた。
 猫は首を傾げた。老婆が指し示した老人は、骨と皮の貧相な老人で、猫が想像し探していた神とはかけ離れていた。神は慈愛溢れる方だったのではないか。
「お前が捜し求めている神様だよ。あの方は今、息子の命を救うために、魔女に子守唄を、野バラを抱きしめて温め、湖に真珠のような両の目玉を差し出してここにたどり着いた女と対面している。見えるかい、今にも枯れてしまいそうな青いサフランを。ここに咲く花はすべて命の花でね、あの息子の命の花がサフランなんだよ。あの女は神様にそのサフランを引き抜かせまいと守っている。神様もね、母親の情に驚きはしているさ。ねぇ、お前。神様はそれでも命の花を引き抜くと思うかい?」

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