小説

『雨よ、雨よ』高橋惠利子(『Historien om en Moder』)

1

「どこにいくつもりだ」
 顔を上げると、目やにで片目がつぶれた白猫が立ちはだかっていた。白猫は茶トラの猫を一周し、嘗め回すように見つめた。
 冷たい風が吹いて木々がざわつく。
 薄暗い森の主なのか、茶トラの行く手をふさぐ雄猫は挑発的な笑みを浮かべた。
 彼は片目が潰れてはいたが、堂々たる体躯であった。反対に自分は、ここ数日水を満足に飲むことができず、自身の手入れも滞りがちであったため、土にまみれて、やせ細った貧相な体つきである。乳も出なくなった。いや、もう与える相手はいないのだが。
 茶トラは雄猫の意図を察し、ふんと鼻を鳴らした。ひとりぽっちであり、そうでありたいと心底願った。
 だが白猫は構わず後をついてきた。茶トラの猫が応じないと知ると、強引にのしかかってくる。茶トラは身体を揺すって振り払おうとしたが、雄猫は爪をたてて必死にしがみついてきた。にゃあ、茶トラは泣きたくなった。
 ついに追いかけっこが始まり、筋力の落ちた茶トラはひょろひょろと駆け出した。けれど野の生活を送っていた白猫は、まるで弄ぶように茶トラに追いついたり離れたりを繰り返し面白がり追い詰めていった。
「もう、許してくださいな」
「いいや、許しはせん」
 体力の尽きた茶トラは地面にへたり込んで、弱々しく懇願した。
 雄猫から与えられた痛みを堪えながら、息も切れ切れ茶トラの猫は言った。
「私は行かなくてはいけないのです」
「どこへ行くつもりだったのだ」
 さして興味もないだろうに、事が終わるとせせら笑いながら白猫が問いかけた。
「神のところへ。我が子を奪ったものに復讐をするのです」
 その時ばかりは、茶トラの猫もまっすぐに白猫を睨みつけた。さながら目の前の雄猫が子供の敵であるように。そうであればどんなに簡単だっただろうか。爪を出し、何のためらいもなくとびかかり喉元を食いちぎってやる。 
「そうかい。では、礼の代わりに教えてやろう」
 白猫は満足しており、そしてなにより神への道を知っていた。

 代償として教えてもらった道を進み、茶トラの猫は神の地へとたどり着いた。

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