1
朝の、凜として密度の濃い冷たい空気が、心地よい。町の体育祭も終わり、ニュースでは、紅葉の便りを北から届けている。ダラダラ続けてしまう夜の残業の代わりに、効率のよい朝残業に切り替えた健次郎は、東の空に明けの明星が輝く時間に家を出る。身体に差し支えるからと、夫には起きて来なくていいと言われているが、遥は毎朝、朝食のおむすびを作って見送った。私の子、ではない。ふたりの子だから、夫のために少しでも何かできることが幸せを大きくしてくれる。健次郎と遥は、新しい生命を授かり、その誕生を春に控え、楽しみにしていた。
「どんぶらこ、どんぶらこ」
幸せは、キラキラ輝く流れに乗ってやってくる。
2
ぼくは、ルーマー。チーマーだのゲーマーだの何でも専門家にしてしまうように、編み出したぼくの造語。ROOMにERをつけて、ROOMER。「部屋の人」つまり引きこもりのこと。
高校までの僕を知っている人間は、きっと不思議に思うかもしれない。サッカー部のキャプテンで県の選抜にも選ばれ、成績は学年一桁台をキープし、他校の女子からも告白されたりしていた。俗にいうカーストの一番上。でもその同じ勝ち組のコたちと、いつも仲良くツルんでいたわけではない。そのコたちが、ぼくを仲間に入れておきたかっただけ。ぼくがいるグループは価値が上げるから。マンモス校のうちの高校には、いくつかの勝ち組があって、こっちのほうが上だの醜い争いを繰り返していた。その時点で、みんな負けていることに気づいているコはいなかった。
ぼくは、別にひとりでいたかったけど、勝手に周りに集まってくるので、仕方なく。気になるコはいたけれど、寄ってくる女子とは、しゃべりもしなかった。女子のリーダー的なコから告白されて、断る理由がないから仕方なく付き合ったこともある。でも付き合うとか別に興味がなかったし、積極的にしゃべりもしなかったけど、相づちうって時折微笑んであげれば、彼女は嬉しそうだった。ほかの女子より少しだけ近く、ぼくの隣にいるだけで、満足そうだった。アクセサリーみたいなもんだった。でも、ある日キスすら求めないぼくから、去っていった。いや、キスを求めてきた、あの視線を、まるで絡みつく舌のようなあの視線から3度逃げたとき、「最悪っ」と言って、僕の周りに落としていったプライドを拾い集めて、去っていった。