小説

『ゴク・り』冬月木古(『桃太郎』『聖書』)

「おおきなももが、どんぶらこ、どんぶらこ、と流れてきました」
 桜は、実のようなつぼみを風船を膨らませるように、暖かさを吸い込んでいた。

 
12の1

 ぼくは部屋にある大きな鏡の前に立っていた。ネットで買った9YTの洋服を試着しながら。少し小さいけど、それがピタッと身体の線が出ていい感じ。出かけるつもりは、ないけれど。

 ちょっと幸せな気分を感じていると、鏡の中で青緑色のみかんは、誇らしげに存在感を示す。そして完ぺきに着飾ったワタシに言う。
「ちがうわ」

 女の声なのか、よく分からない。
 恐る恐る鏡の中の自分を再び見た。ワタシは唾を飲みこみ、その存在を意識した。そして、絶望の淵に追いやられた。

13

 清森夫妻は今夜も教会にいた。

 讃美歌312番を歌い終え、椅子に座ると、牧師が静かな声で言った。
「新約聖書45ページ、マタイによる福音書第26章47節……そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。……そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った」

 牧師はユダの裏切り、それすらをお許しになる神の子イエスのお話しをされた。少し風があるのだろう。教会の敷地に植えられている柊の葉が擦れる音が聞こえる。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14