小説

『勝ち山』外﨑郁美(『カチカチ山』)

 朝いちばんのオフィスのフロア。窓から朝日が差し込むなか、中原信子とその部員たちが、
 フリースペースで円を描くように並んで立っている。今日はX電機創業以来初の女性営業部長が誕生した記念すべき日である。朝部会で信子が部長としての決意表明をし、あいさつし終えると、30名ほどの部員たちが大きく拍手する。朝日に照らされた信子の目は真っすぐに部員たちを見つめている。そのなかでも5名在籍する女性社員たちは特に目を輝かせている。中堅企業であるX電機にはそもそも女性社員が少ない。短大卒で総務局への初任配属からコツコツとキャリアを積み重ね、女性初の営業部長まで登りつめたのは、信子の地道な努力によるものでしかなかった。

 部員たちが拍手を送っている最中に、ひとり早めに拍手の手を止めて伏し目がちに席に戻る男がいた。今日から信子の部下になる山下英雄だ。信子が部長にならなければ、本来は山下が部長になるはずだった。少なくとも山下はそう思っていた。X電機における出世コースの定番は、営業や商品企画などの花形部署から人事などの管理系を経由し、40代半ば過ぎくらいで営業に戻って1、2年ほど過ごしたのちに営業部長になるというものだ。山下はまさにそのルートをたどってきたところだった。約1年前に営業配属の内示が出たときは心が踊った。次は確実に自分の番だったはずなのに。なぜ今さら50歳を過ぎた総務上がりの信子が部長になり、自分が信子の部下にならなければいけないのだ。山下は納得できなかった。山下は喫煙所で部員たちにくだを巻いた。

「どう思う?ぶっちゃけ」
「何がですか」
「新しい部長だよ」
「いやあ、すごいですよね。男性ばかりのうちの会社で」
「新しい時代感じますね」
「しかも中原部長、女手ひとつで息子さんを育ててきたって」
「ご立派ですよ」

 平成生まれの若い男たちとはどうも話が合わない。山下は大きなため息とともにタバコの煙を吐き出す。「女性活躍」という言葉をここ最近だけで何度聞いたことだろう。社会の流れに合わせた大義名分が、必ずしも今のX電機に合っているとは思えなかったし、何より実力ではなく「女だから」という理由で女性がちやほやもてはやされるのは、逆に男女差別なのでは?と山下は思っていた。さらに「仕事に家庭の話を持ち出すな」と山下は言いたかった。会社はボランティア施設じゃないのだ。家庭のありようでその人が会社でも評価される最近の風潮にも、納得がいかなかった。しかし今の営業部の若手社員たちはめっぽう「イマドキ」だ。上司に威厳を求めたりしないし、何より「ワークライフバランス」を重視する。一方で山下はこれまで家庭や育児のことはすべて妻に任せ、身を粉にして働いてきた身だ。ここまできて報われないなんて、割に合わなすぎる。

「ただのおばちゃんじゃないか」

1 2 3 4 5 6 7 8 9