小説

『揺れ、そして凪ぐ』リンゴの木(『竹取物語』)

「ひゅー、おめでとう」
橋本の声が遠くで聞こえる。そんなの嫌だ、だって、細竹さんに会えないじゃない。
「い、嫌です」
私は振り絞るように言った。
「何言ってるの、頑張って来なさい」
おばちゃんの無意味な励ましが耳をすり抜ける。作業員が心底どうでもよいような拍手を一通りするとラインに目を落とす。私は呆然として持ち場に戻った。細竹さんと橋本が近寄って来る。
「おめでとう」
「おめでとうございます!頑張って下さい」
細竹さんがふわりと笑っている。ああ、新しい所でも頑張らないと。

 前の食品工場で鉢のレーンを担当していたからというおかしな理由で、コップ作りの担当になってしまった。今回の職場は機械ではなく手作業で木工製品を作るらしい。私はできれば椅子とかもっと大きい物が良かったのだけれど仕方がない。とりあえずノコギリで粗く切り出していく。
「ほい、皆さん手を止めて。石山さんに続いて、新しい仲間が増えました」
工場長のおっちゃんが手を叩きながら言った。
「細竹と申します。食器工場から移ってきました。よろしくお願いします」
私は驚いて顔を上げた。あの細竹さんが工場長の傍に立っている。

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