小説

『ひとつくらいは手を貸そう』有栖れの(『天狗の羽団扇』)

 一陣の春風が、穏やかな光の中に降り積もる淡い花弁を巻き上げて踊る。
 その中に静かに佇む美丈夫は、まるで一服の絵画と見紛うほどであったが――少年はぼんやりと、“なんだか似合わないなぁ”と思ったのだ。

 電車でふた駅離れた、学習塾。普段とは違い、家まで徒歩で40分はかかるその距離を歩いて帰ることに決めたのは、返ってきた模試の結果が悪かったからでも、少しばかり買い食いをして腹がくちくなったからでも、今夜はどうやら流星群が観測できるらしいからでもなかった。ただの気の迷いだ。
 未だ冷え込む夜道、マフラーに顔を埋めながら、のそのそと進むその途中。なんの変哲もない飲料の自販機と、その前に佇むひとりの男がいた。
 ありふれた光景だったにも関わらず、ふとそちらへ視線を固定して足を緩めてしまったのは、その男の背が少々驚くほどに高かったからだ。自販機と並ぶその体格は無機質な電光を大きく遮り、夜闇よりさらに濃い影を地に落としていた。
 男は少し身を屈めた後に姿勢を正し、こちらに背を向けてゆっくりと動き出す。
 が、唐突に
――がつん、ごとごとごと……
 と鈍い銀色の煌めきが少年の足元に転がってきた。
 缶ビールを、落としたらしい。
 反射的に拾い上げ、顔をあげれば白い光円のぎりぎり端でこちらを振り返っている男と……おそらく目が合った。

1 2 3 4 5 6 7