小説

『檸檬、その後』小川葵(『檸檬』(京都))

『檸檬、その後』

 画本がゴチャゴチャに積み上げられ、一番上に、檸檬が置かれていた。
「すぐ直して」
 店主が私に言った。京大あたりの学生がよく本を立ち読みし、そのまま棚に戻さず帰っていたので、その度、書籍担当の私は客に聞かれぬよう僅かに舌打ちし、本を棚に戻していた。
 画集はどれも大きく棚から取るのも一苦労なので立ち読みする者はあまりなかったし、そもそもこの一角に立ち寄る客も少なかったので、見回るのを怠たった故、先に店主に気付かれてしまったのだ。
 積み上げられた一番上はアングルの画集で、橙色の大きな本だった。その上にレモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたような単純な色の、丈の詰まった紡錘形の格好の檸檬があった。橙色に、凛とした檸檬の色が映えていた。店主は性質の悪い悪戯だと騒ぎ立てたが、私は積み上げられた画集の上の檸檬に何かしら粋なものを感じた。檸檬を前掛けのポケットに入れアングルの画集を両手で棚に戻し、他に積み上げられた本もそれぞれ元の棚に戻した。

 夕刻に店仕舞いをし、空がまだうっすらと明るい内に店を出て裏通りを歩いて家路に着いた。雪はもう降らなくなっていたが、京都の山のぴんと張り詰めた寒さは東京を珍しく恋しくさせた。
 東京から京都に移ってそろそろ三年経つ。日本橋の丸善に勤めていたが、震災で葛飾の家も日本橋の店もなくなった。妻の親戚のツテで京都に住める家があり、幸いなことに京都の丸善の手代におさまった。越して来た頃は、汚い洗濯物が干してあったり、がらくたが転がしてあったり、むさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが怖かった。土塀が崩れてきそうで、傾きかかっている家並が恐ろしかった。しかし三年も月日を経ると、よそよそしい表通りよりも、どこか親しみのある裏通りを歩く方が落ち着いた。

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