小説

『月桃の声』久白志麻木(『耳なし芳一』)

 渡たちの集落は何と椨や桜の木が立ち並び、シダが生い茂る湿った森の中にあった。依はその村の原始的な様に感動した。森の中の樹々を伐採して空間を拡げ人の家を建てたのではなく、そもそもの森の構造を活かして住居を作ったという様であった。上手く作ってあり、樹々の間を縫うように木造の住居が二十軒ほど建っている。依はその中の空き家を一つ貸し出された。
 村の中に電気は通っていないようでそれでも皆不便なく暮らしているようだった。住居にはそれぞれ窯焚きの風呂が備え付けられ、屋根付きの野外調理場が点在していた。自分たちで作ったのだろうか、立派な横井戸の水場もあった。また村には純朴そうな顔つきの子どもたちがたくさんおり林の中を元気に走り回っている。その小さな足が落葉をさくさくと踏み鳴らす音が何とも可愛らしかった。
 村の奥、森の内側のほうへ行くと小さな洞穴があり、その手前に大きな切り株を削って拵えた舞台と、小さな木製の丸椅子が三十脚ほど用意されていた。その横には特設の屋台小屋が数軒あり、集落の住民たちが準備に忙しなく動き回っていた。彼らは依を見つけると作業の手を止め、嬉しそうな顔で近づいてきて握手を求めるのであった。
依は小屋へ戻りはやる気持ちを抑えながら、リュートの弦をクロスで丁寧に拭き調弦をしてから爪弾いた。温かみのあるその弦の音色と、部屋の中に充満する木の柔らかい香りが依の心を落ち着けてくれた。そのとき、依はいつも首から下げていたあの鈴のお守りをどこかへ落としてきたことに気付いたが、後で探そうと思い気にも留めなかった。

 

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