小説

『月桃の声』久白志麻木(『耳なし芳一』)

 すっかり成長し、顎と唇の下に無精髭まで生やすようになった依はその鈴を今も首から下げている。彼は大人になっても変わらず自然をこよなく愛し、琵琶に似たリュートを提げ旅した各地で出会った花や生き物、自然現象のことを唄うようになった。そしてそれを生業とし何とか暮らしを立てていた。
 そんな依の元へある初秋の日、知人を伝って伊豆諸島の青ヶ島にある集落へ演奏しに来てほしいと依頼があった。何でもそこに住む人たちは皆、依の持ち歌の中の「月桃の声」という曲が好きで、どうしても一度生で聴きたいとのことだった。
 「月桃の声」は依が沖縄を訪れた際に作った三拍子の鎮魂歌だ。不条理に摘まれる運命にある月桃の花の哀しみを唄った、情感にあふれた曲である。依は自分が訪れたこともない青ヶ島の人々がどこでその唄を知ったのか疑問に思ったが、ひとまず仕事を受けることにした。

 
 青ヶ島は世にも珍しい二重カルデラ火山を持つ断崖絶壁の孤島だ。依は、へリコプターに乗り空から島へ向かった。依を呼び寄せた集落の人々の中で連絡係として働いてくれた渡(わたる)という人がチケットを往復分手配してくれたのだ。ヘリの窓から、鮮やかな瑠璃色の海に浮かぶ緑溢れた楕円型の島を眺めながら依は「今までも見知らぬ人たちに演奏の依頼をされたことはあったが……。今度の人たちは相当に自分の演奏を聴きたいのだろう。心してやろう。」と考えていた。

 依がヘリから降り立つと、すでに待ち構えていた渡が駆け寄ってきて歓迎してくれた。渡は依と同い年か少し歳下かくらいの好青年で、青味がかった艶のある長い黒髪をしていた。背が高く小柄な依と並ぶと十センチほど身長差がある。
「依さん、ようこそ青ヶ島へ。よくぞご無事でいらしてくださいました、皆喜びます。長旅でお疲れでしょう。ライブをしていただくのは夕暮れ時ですので、まだ時間があります。宿を用意してあるので少し休んでください。では、僕らの集落へご案内します。」
 依は渡に導かれて徒歩で彼らの集落へ向かった。渡は最初整備された歩道のほうを歩いていたが、徐々に山道へ分け入っていく。依は足場の悪さによろめきながら進んだ。その様子に気付いた渡が依の手荷物を全て引き受けてくれた。

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