小説

『彼女の雨傘』元森葵(『笠地蔵』)

 いつものように終電が少し過ぎた頃にタクシーで帰宅した。会社からほど近くの、やや築年数の古いマンション。一階にある自宅のドアノブには紙袋が提げられていた。コーヒーショップでテイクアウトする時のような、無地のクラフト紙の手提げである。
 宅配便の荷物が置かれることはあったが、このような紙袋に心当たりはない。
 いったい何だろう。
 中をのぞくと、折りたたみ傘だった。濃紺の生地に控えめなグレーのストライプ模様。プリーツが等間隔で丁寧に整えられ、バンドでしっかりと留めてある。その隣には焼き菓子だ。円筒型の透明なケースにクッキーが入っていた。
 どこにでもありそうな平凡な傘は、知っているものだった。持ち手部分の白抜きのロゴも見覚えがある。
 脇に隠れていたメッセージカードを取り出すと、丁寧な文字で次のように書かれていた。
「優しくしてもらい、嬉しかったです。
 傘ありがとうございました」
 メッセージの意味を咀嚼するより先に、嫌な予感に胸が高鳴り始めた。
 慌てて部屋の中に入り、スーツのままソファに腰掛けて再びカードを見なおす。
 もちろん書いてある内容に変わりはない。焦る思いに喉の辺りがつかえたように苦しい。
 学生時代の記憶が断片的に蘇る。
 この傘は以前、自分のものだった。そして緑(みどり)に渡したもの。
 緑との関係はこの傘がきっかけで始まり、もう二年以上も続いてきた。
 次に頭に浮かんだのは、一昨日の彼女の冷めた表情と、「玲司(れいじ)くん、私の話聞いていないよね」と咎めるような口調。部屋を出ていく後ろ姿。
 いま傘が手元に返されたということは――
 俺たちは終わりということなのだろうか?

   ◇

1 2 3 4 5 6