男は咄嗟に箱をテーブルに置いた。確かにその通りだ。もし、仮に『浦島太郎』の話が本当だとしたら、この箱はいわゆる玉手箱ということになる。開けるとモクモクと白い煙が立ち上がり、たちまち開けた者が老いてしまうという、例の――。
「今まで黙っていたこと……怒ってる?」
恐る恐る妻が訊いた。男はむしろ、妻の機転に感謝をしていた。もし仮に、あのアパート暮らしの時、この箱を開けていたら、自分たちはどうなっていただろう。いや、仮に開けなかったとしても、この箱の存在を知ってしまったとしたら、果たして自分は酒も飲まずに、ここまで一生懸命働けただろうか。もしかしたら煙ではなく金銀財宝が入っているかも、という誘惑に打ち勝って――?
「いや……むしろキミには感謝してる」
男が言うと、妻は嬉しそうに微笑んだ。そして彼の前に空のグラスを置くと、ボトルワインを注ぎ出した。
「どうして今になって打ち明ける気になったと思う?」
「え?」
「私はね、今のあなたになら、全てを話せると思ったの。今のあなたには何の心配も要らない。だから打ち明けたの」
並々と赤ワインが注がれたグラスを、妻は男に差し出した。
「もう、飲んでもいいんじゃない?」
男は妻に持たされたグラスを見つめた。かつて愛した真紅の液体で満たされている。
「乾杯」
自分のグラスを掲げて妻が言った。釣られて中途半端にグラスを掲げる男。その手元でワインが揺れる。妻も妻で「今のあなたなら、大丈夫よ」と酒を勧める。
やがて男は決断したように、グラスを玉手箱の脇に置いて、妻に言った。
「よそう。また夢になるといけない」