小説

『浦芝』太田純平(『浦島太郎』『芝浜』(落語)』)

「私は別に、裕福な暮らしなんて望んでない。私はあなたと、このお腹にいる子と、三人で、幸せに暮らせたら、それで、いいの」
 妻の涙ながらの訴えに、男はその場で崩れ落ちた。自分がしたこと。そして今までしてきたこと――。
「あれは……夢だったんだな……」
 改心した男の胸に、もはや浦島太郎だなんだという夢物語は無かった。つくづく身の上を考え直した男は、これじゃあいけないと一念発起して、自らの決意を妻に伝えた。
「俺、もう一生酒は飲まねぇ」

 × × ×

 あれから3年が経った。もともと仕事熱心だった男は、酒を断ったことでますます成績が良くなった。それで、懸命に働いた結果、夢のマイホームを建てるにいたった。1LDKの狭いアパートから、4LDKの二階建て一軒家にグレードアップだ。
 そして、その年の大晦日の晩のことであった。子供が寝静まった頃、妻は酒を飲みながら、この一年の旦那の働きを労っていた。
「今年も一年間、ご苦労様でした」
「いやいや、お前あっての俺だよ」
 男は本当に酒も飲まず、家族のためにと休日返上で働いてきた。それを分かっているからこそ、妻の心に今の男の台詞が刺さった。
「ど、どうしたんだ?」
 妻が突然涙した理由を、男は知る由も無かった。妻はこの三年間、彼にずっと嘘をついてきた。彼女はいよいよそれを、彼に打ち明ける時が来たのだ。
「今のあなたになら、話せるわ」
「え?」
 彼女はリビングからふっと消えたかと思うと、一分も経たないうちに戻って来て、ソファでくつろぐ男の前に、小さな箱を差し出した。
「なんだいこれは?」

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