小説

『イチゴ沼』柿ノ木コジロー(『おいてけ堀』(東京))

 自分の車が気になって空き地の端に目をやった。一見したところだいじょうぶのようだ。
 イチゴどころではない、と思いながらもつい、男の落としたコンテナからまだ無事そうな1パックを拾い上げ、片手に握りしめていた200円を急いで売店の小箱に落とす。
 黒い軽は、けんめいにアクセルをふかしているようだが、前輪がずっと空回りして、そのたびに泥のしぶきが後ろに吹き飛んでいる。ボンネットから煙が立ち始めた。
 車内では、男の子が泣きわめき、女が娘に、いい? 早くググって、脱輪、泥、タイヤ、出られない、ロードサービス、と次から次へと単語をわめき散らしている。
 俺は軽のドアに手をかけようとした、が、沈むスピードが思ったより速い。
 ついに前の席のふたりもそれに気づいたようで、車内から絶叫がひびいた
 俺はすでにエンジンをふかし始めた後ろのバンに向かって叫んだ。
「消防に電話して!」
 自分の携帯電話は車の中だ。今頼りになりそうなのはあの男しかいない。
 しかし、彼もすっかり取り乱してしまったようだ。何度か激しく前にうしろに切り返しをして、泥から脱出を試みている。
 すでに軽は黒い屋根部分しか地表に出ていなかった。
 呆然と立ち尽くす俺は、激しいエンジン音に反射的に身をひるがえす。
 白いバンがこちら目がけ――女の軽自動車の方に向かって――突っ込んできたのだ。
 すんでのところで避けた俺の目の前、軽の屋根を踏んで白い車体はかなりのスピードで前進した。皮肉にも軽の沈んだ屋根部分が一番快適に走れたようだった。だが、車があった場所を通り過ぎたとたん、間の抜けた音とともにエンジンが止まり、彼も立ち往生となった。
 俺の車にロープがあっただろうか……そんな考えも頭によぎったかどうかのうちに、白い車も地面の上に屋根を残すだけになっていた。屋根の四角がゆっくりと小さくなり、そして、なぎ倒された枯草たちとともに地中へと消えていった。

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