男は毎週末に足しげく我が家を訪れた。数週間がたったころには、多分にあやしげな彼の来訪をごく自然と受け入れるようになってしまったのだから、慣れとは恐ろしいものだ。彼はたいてい昼過ぎにやってきて、母の隣で和三盆を食べながら噛み合わない言葉を交わし、私の出すお茶を一杯飲んで帰っていく。初めこそ警戒していたものの、呆けた母になにかを売りつけるでもなく、金の無心をするでもない。来るたびに借りた物の話を振ってみるが、それが何かは思い出せないのだと首をかしげてみせるだけ。教え子だと名乗ったわりにはついぞ仏壇に手を合わせようともしなかったが、私と母の前で、父の思い出話はよく口にした。
ある日、男が語ったことを今でもよく覚えている。
「お父さん、いい先生だったんですよ。正しくて、優しい人でした。授業は丁寧だし、生徒の一人一人によく目を配ってくれて、どんなに忙しくても進路の相談に乗ってくれました。怒ったときはすごく怖かったですけどね。僕らの代には本当に嫌なやつがいて。男です。別に暴力を振るうようなやつじゃなかったんですけどね、自分と違う人間を許せないタイプのやつだった。僕は気が強くなかったし、他とはちょっと変わってたもんで、ネチネチと嫌味を言われました」
母が「まあまあそれはよろしいわねえ」とにこやかに相づちを打つ。ちょっと変わっていた、という言葉に私は深くうなずいた。うちへの登場の仕方からして、かなり変わっている。
「靴を隠されたこともあります。嫌がらせの仕方があんまりにも古風なんで笑っちゃいました。でも上手いですよ。そういう地味な嫌がらせって、なかなか教師からは見えないから」
「それを、父が?」
「ええ。お父さんも上手かったです。そういうやつを頭ごなしに叱っても仕方がないってわかってるんですよ。叱ったってもっと見つかりにくいことをするだけなんで。で、どうしたと思います?」
「靴箱に鍵をかけるとか?」
「発想が即物的ですねえ。お父さんに似てないな」
「じゃあ聞かないでくださいよ」
「僕にね、勉強と筋トレを教えてくれたんです」
「発想がぶっ飛んでません?」
「僕も正直そう思ったんですけどね、これがどうして効果抜群だったんですよ。文武両道、知勇兼ね備えれば変わったところも個性になる。そういうことです。今でもばっちり筋トレを続けてますよ」