小説

『和三盆を食べる』伏見雪生(『駆込み訴え』)

 母が「まあまあそれはよかったわね」と首を振る。本当にそうですね、と男が笑う。
「多感な時期だったので、ひどく傷つきました。僕を助けてくれたのに、卒業する時に上手く別れも言えなかった。初恋は忘れられないものです。あなたがたの顔を見てみたかった。見て、ちゃんと納得したかっただけなんです。自分勝手ですみません」
 愛することならうまくゆくかも知れない、って、ね。それだってなかなか難しいもんですよね。
 低い声がリビングに響く。硬く握りしめられた手は白くなっている。思わずその手を握りしめたくなったけれども、そうはせず、私も膝元で手を組んだ。母が和三盆を口に運ぶ。熱い舌のうえで父を溶かし、あっけなく嚥下する。
 その様を見ながら思う。母は父を深く愛していたのだろう。私だって、父に愛されていたのかもしれない。仕事上ならきちんと愛を示せたらしい父の、不器用な愛情。それをひとつ知ることすら、こんなにも難しい。
 私は席を立ち、仏壇の奥に手をはわせ、紙包みから父の遺骨をひとかけら取り出して、男のもとへ戻った。
「捜し物は、これじゃないんですか?」
 差し出せば、震える指が黄ばんだ骨を受け取った。私は男の顔をのぞきこむ。澄んだまなこに悲しみの色はなかった。きっと私の目も同じ色をしている。私が男の足に刻んだアザは、今でも青々と残っているのだろうか。
 男は仏壇に手を合わせ、骨とともに出て行った。それきり二度とうちには来なかった。

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