小説

『和三盆を食べる』伏見雪生(『駆込み訴え』)

 骨壺の骨を母がぐじゅぐじゅとしゃぶってしまうので、中身を和三盆に入れ替えた。母の意識が定かではなくなってから、すなわち父が急死してから既に半年が経っている。父はまだ五十歳になったばかり、死因は心筋梗塞だった。いつものように晩酌をしながら漫才番組にケタケタと爆笑し、勢いあまってのけぞったと同時にぱたりと倒れる、という、本当にあっけない死にざまだったらしい。つい先日まで父だったものは、まもなく葬送の火に焼かれて細々とした骨になった。
 高校の教師をしていた父の葬儀には教え子たちが山のように訪れた。私は涙ながらに別れを惜しむ彼らを遠巻きに見ていた。父は仕事熱心だったが、その代わりに家庭をほとんど顧みない人だった。休日は部活の顧問やらなんやらで家を空け、幼稚園のお遊戯会にも、小学校の参観日にも来なかった。幼い私の写真を撮るのは母の仕事だった。その写真を見返す父の姿すら私は見たことがない。
 急に伴侶を失ったことが衝撃だったのか、まもなく母の意識はぼんやりと夢の中を漂うようになった。独り身かつ一人娘の私が面倒をみるしかあるまいと実家に住みはじめてほどなく、母は骨壺の骨を取り出しては飴玉のようにしゃぶるようになった。のどに詰まると危ないな、と思ったので丸く固められた和三盆の詰め合わせを買って、骨壺の中身と入れ替えた。本物の骨は紙につつんで仏壇の奥に隠した。のんきに笑う父の遺影を見るたびに苦々しい気持ちになる。娘の面倒すらたいしてみなかったくせに、いい身分だ。
 緑茶を片手にソファに埋まり、まっしろい壺から取り出した砂糖の塊を口に含む姿は、ちょっと優雅なティータイムを過ごしているように見えなくもない。
「お母さん、あんまり食べると体に毒よ」
「大丈夫よ。おいしいから」
 会話はなかなか成立しない。幸い足腰はしっかりしているものの、意識はぼんやりしているものだから、うっかり目を離すとふらふら外へ出てしまう。私はヘルパーを手配して平日は仕事に向かい、土日は母とふたりで過ごした。母のとなりで漫才番組を見ながら緑茶をすするだけの休日はまるで老後だ。母は私のとなりで和三盆をつまみ、粉のついた指をちゅぷちゅぷとなめた。「老いる」ということはすなわち幼くなるということなのだな、とそれを眺めながら思った。
 奇妙な男がやってきたのは、とある土曜日の真っ昼間だった。蝉が鳴くようなチャイムに応えてドアを開ければ、男は細く開いた隙間にすかさず片足をつっこんできた。私は慌ててドアノブを硬く握りしめる。
「訪問販売なら間に合ってます。布団も新聞も結構です。宗教は浄土真宗で宗旨替えする予定もありません」
「いやいや落ち着いてくださいよ奥さん、僕そういうんじゃないんですよ」
 へらっと笑んだ口元からおもねるような声音がもれる。思いっきりドアノブを引けば挟まったスニーカーがぐしゃりとつぶれ、「いだだだ痛い痛い」と笑いを引っこめた男がうめく。
「やめてください! ちょっと話を聞いて」
「通報します」
「せんでください、あやしいもんじゃないんですって」
「あやしくない要素がないんですけど」
「あなた娘さんかな。お父さんいるでしょ、先日亡くなった。僕、お父さんの知り合いです」
「父の?」
「そうですそうです」

1 2 3 4 5