小説

『和三盆を食べる』伏見雪生(『駆込み訴え』)

 ははあ、男の鍛え上げられた肉体美は父の指導の賜物だったのか。太い腕のむこうに父の姿を垣間見て、少しばかり不思議な心持ちになる。男は思いをはせるように目をすがめた。視線は私を通り越し、遠くのなにかを見ているようだった。まるでひどく美しいものでも見つめるように。
 つと、彼の指が本棚の下段をさした。
「アルバム、見せてくれませんか」
「いいですけど、たぶん私の写真ばっかりですよ。父はイベント事にはろくに参加しなかったので、写ってないかと」
「構いません。見たいな」
 うっすらとほこりをかぶったアルバムを取り出し、ローテーブルに広げる。私自身、ここ十数年は見返したこともない。開いたページには四枚の写真が貼りつけられていた。幼稚園のお遊戯会だろう。舞台のすみっこに私がいる。うろこの描かれた紙を下半身に巻きつけ、ぼやっとした表情で突っ立っている。舞台の垂れ幕には『にんぎょひめ』の文字。脳裏に淡い記憶がよみがえる。確か、くじで主役を引き当てたのだ。人魚姫役は私と友達のふたり。私は後半を担当したから、クライマックスのセリフをがんばって覚えた。
「かわいいですね」
 男の指が画質の悪い写真をなぞり、ページをめくる。小さな私が舞台の中央に移動する。一枚の写真の横に、汚い字で二行の文言が記されている。父の字だ。男が静かに読み上げる。
『愛されることには失敗したけれど、愛することならうまくゆくかも知れない』
 私の最後のセリフだった。寺山修司の脚本にあるセリフは幼稚園児には難解で、必死になって母を相手にリビングで何度も練習した。思い起こせば、なぜだか不意に胸が詰まり、私はしばし口を閉じた。父は舞台を見に来なかったし、アルバムに手を伸ばすところも見たことはなかった。
 私は経年にかすれた文字へ指先で触れる。ながらく誰も触れていなかったはずのアルバムには、うっすらとしかほこりが積もっていなかった。男はアルバムから手をはなし、膝元で両手を組んだ。
「僕はね、あなたのお父さんのことが好きだったんですよ」
 ゆっくりと目を上げる。男の目には水の膜が張っていた。切々とした、しぼりだすような声音は、それが生ぬるい好意でないことを表していた。
「妻子がいる、と言われました。僕が生徒だからではなく、男だからでもなく、所帯をもっているからだ、と。一人の人間として、真正面から僕に答えてくれた。正しくて、優しい人でした」

1 2 3 4 5