あれほど恋焦がれた都会での生活にたった4年で挫折しようとしている。
無事に大学卒業の単位も取れ、就職活動も上手くいき外食企業の内定ももらった。彼女もでき、これからだという時のコロナ禍だった。
内定は取り消され、バイトも解雇された。仕送りは3月までというのが親父との約束だった。就職前のため失業保険もない。
ここ一週間、一日一食のカップ麺ともやしだけの食事だ。力が出ない。
パンデミックになると都会は冷たい。助けてくれそうな友人はみな帰郷していた。彼女も故郷へ帰っている。
僕は帰りたくなかった。親父ひとりの家に帰るのは死に近い。話すことはなく遊びに行く場所もない。集落の夜は真っ暗になり、テレビを見ている親父の顔を見る以外することがない。隣町まで行けば娯楽施設はあるがバスは一時間に一本しかなく、車を借りていけば酒は飲めない。それ以上にあの軽トラで遊びに行きたくなかった。
だがパンデミックになり思った。都会は遠くから思っているときは魅力にあふれているが、暮らしてみると生きづらい街だと。
長野県阿智村園原に「ははきぎ」と言われる伝説の木があった。遠くからだとはっきり見えるのに、そばに近寄ると消えてしまう不思議な木のことだ。
千年もの昔から人々はその不思議な木を神秘化し、多くの歌人が和歌に詠んできた。紫式部の源氏物語2帖は「帚木(ははきぎ)」だ。空蝉を想うが拒否され続ける光源氏が描かれている。
僕にとっての都会は、何も刺激のない故郷よりはるかに魅力的であることだけは確かだった。しかしパンデミックになってみると、これほど殺伐としたところはない。駅前広場で酒を飲んで騒ぐ学生もいたが、そんなことは一過性のものだった。あがいてもどうにもならないと悟ると、羽目を外す学生の姿も見なくなった。都会なのに田舎の駅前広場のような死の街と化した中で、自分の存在意義さえ見失いそうになる。こんなに好きで憧れた街なのに、拒否され続けていると感じる。
大学は一時帰郷を勧め、仲の良い友人は皆故郷へ帰って行った。
もし僕がコロナになり自宅待機になったら、どうなるのだろう?
熱にうなされていたら一人で病院へ行くこともできない。コンビニへ行くことさえ禁止され、食物がなければ更に症状は悪くなるだろう。たとえ食料が手に入っても熱のある時にレトルト食品など食えない。寝てれば治る病気ではないのだ。
最近ではSNSで会話する友人からも一時帰郷を勧められる。今ではSNSが命綱だ。誰かと話している時だけが生きていることを実感する。