小説

『謝辞』斉藤高谷(『はなたれ小僧様(熊本県)』)

 旅先で出てくる食事はどれも美味しかった。自分で作らない気楽さも手伝って、心の底から堪能できた。
 ただ、三日も人の作った食事を食べていると、美味しいことを当たり前に待っている自分に気がついた。お金を払った上で饗されるものだから当然なのだけど、なにか、冷や水を浴びせられたような気がした。
 わたしの作った食事に、「美味い」の一言も言わない夫に不満を抱いたことは何度もあった。最近は何も思わなくなったのは、単に諦めたからだった。食事に限らず、他の家事や娘のことでだって、夫に感謝されたことはなかったし、こちらも感謝されることを諦めていた。
 わたしに対する感謝はいらない。ただ月々暮らしていけるだけ稼いでくれれば、それでいい。そんな風に思っていた。
 わたしもまた、出てくる食事に感想を言わない人間になっていた。


 四泊五日の予定を、親友に無理を言って一日早く切り上げた。「家のことが」と理由を言うと、彼女は肩を竦めて空港まで送ってくれた。
 午前の便に乗れて昼過ぎには帰って来られた。家の前の道まで来ると、夫が門の前に立っていた。出迎え、ではなさそうだった。途方に暮れたように宙を見つめ、こちらには気づいていないようだった。
「お父さん?」
 わたしが声を掛けると、夫は文字通り弾かれたような反応を見せた。
「どうしたんです、そんな所で」
 夫は縋り付いてこそ来なかったけど、今にも泣き出しそうな顔にはなった。
 その脇に抱えられた回覧板が目に留まり、ああ、と合点がいく。
「次はこっちの真弓さんですよ。新しい方の」
 夫は頷き、お隣のポストへ回覧板を挿し込んだ。戻ってくると、何も言わず、右手を差し出してきた。
「鞄、持とう」
 言われるまま、わたしは旅行鞄を預けた。思っていたより重かったのか、夫は体勢を崩しかけ、どうにか持ち直した。
「すまんな、いつも」こちらを向かずそう言って、歩き出す。
「こちらこそ」わたしは夫の背中にそう言った。

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