小説

『カチカチ寺』大中小左衛門(『カチカチ山』)

 相当苦しかったはずだが、話すタヌキの顔は穏やかだった。
「次にウサギは海でたくさん魚が採れるから金儲けにどうだと言って私を誘った。私はウサギが火をつけたとは知らず、二つ返事で了承した。ウサギはこの大きな泥の船ならば多くの魚を載せられると言って私を泥船に乗せた。
 そして泥が溶け船は沖で沈み、溺れてもがく私にウサギはこう言ったのだ。『お婆さんを殺した報いを受けよ』と。ウサギは私が死んだと思ったろう。
 だが私は奇跡的に、隣の浜辺に流されて陸に戻ることが出来た。打ち揚げられた私を救ってくれたのは一人の僧だった……」
 清太は尚も信じがたいような気持ちでタヌキの話を聞いていた。それが本当であれば、確かにタヌキは報いを受けても仕方ないだろう。
「僧は私を手当てして、出家させてくれた。寺の僧たちは貧しい者に施しを与え、戦があれば逃れてきた者たちを境内で匿うことまでした。
 私にはそんな世界があることなど信じられなかった。貧しければ他の者から力づくで奪うしかない、そう思っていたのだ。私は彼らを見ていて、今までの自分が情けなくなった。 
 貧しいからとはいえ、自分は何という悪逆をなしてきたのだろうと」
 タヌキの目が虚空を見つめた。昔を思い出しているのだろうか。
「だが私を救ってくれた僧はこう言った。悪人をこそ、仏様は救って下さるのだと。この世に悪いことを一つもしない人間などいない。人間はみな等しく悪人であり、仏様はそのすべてを救って下さる、とな。
 私は彼らにならって、この世の苦しむ者たちに手を差し伸べようと決めた。やがて分不相応にも和尚などと呼ばれるようになり、京に寺を建てることが出来るまでになった。そうして今の私がある」
 タヌキの目が清太を見た。彼もまた、初めから立派な和尚様ではなかったのだ。犯した罪を償うために立派な者になろうとしたのだ。
「分かったかな。今日お前を怒鳴った男も、周りが変わり、人に恵まれ、時間が経てば変わるかも知れぬ。今の行いだけで、その人を判断してはいけないのだ」
「和尚様、よく分かりました。人の命をつなぐことに、意味はあるのですね」
 タヌキが微笑む。清太もまた笑い返した。晴れやかな気持ちで、清太は部屋を出た。

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