小説

『まちがった林檎と水曜日くん』もりまりこ(『白雪姫』)

(あやの、君が逝ってもう何年になるのかな。今でも入学式の季節になると父さんは少しつらいです。君と手をつないだ時に落ちてきた葉桜は、今もしまってあるよ。もうずいぶん茶色くなったけどね。会えるといいね。父より)
 白井は、その伝言板のメッセージを読みながら、ただただしんとした気持ちになった。

 みんな誰かが誰かにずっと会いたいと思っていることを感じて、言葉にできない思いがぐるぐると、名付けられない体のどこかをずっと回っていた。

 彼と別れてから、コンビニに寄って缶ビールをいくつか買って帰った。
 水曜日くんと、道すがら話した言葉や、あの伝言板が頭から離れなかった。
 珍しく、父親が起きていた。少し酔いながら。あの鏡の前に居た。
「親父、どしたの?」
「お帰り、芳雄。あのバイトくん達、いい子達だよな。今時珍しいよ」
 って言ったもんだから、白井は、「今時、今時っていつも言うだろう親父は、俺が高校生の時だってそうだったよ。いろいろいるって、いつの時代でも」
 そういうこと言いたくなかったのに、そういうことを白井は言っていた。
 後口悪いの嫌だから、さっき水曜日くんから聞いた話をした。
「みどり公園のさ、伝言板の噂知ってる?」
「あぁ」
「あぁってなによ」
「だから、あの伝言板に逢いたいって書けば叶うとかってやつだろう」
「知ってんの?」
 白井は親父が知っていることに驚いていた。
「そう知ってるよ。金物屋の真千男さんも、ちょこっと書いたらほんとうに夢であったらしいよ、房江ちゃんに。お前知らなかったのかよ。もっと社交しろ、この街で生きてゆく覚悟したんだったら」
 父親に言われるがままに、白井は黙っていた。
 そしてまた、父親はいつも通り寝室へと足を運ぶ、すこしだけ千鳥足で。
「水飲んどけよ」
「なに、いい子ぶってんだよ。もう飲んだよ、おやすみ」
 父親は、水曜日くんと同じように手だけを降っておやすみをしていた。
居間のあの鏡の前に白井は立っていた。
 ふいに、いつだったか雪夫は、ふたりで暮らしていた洗面所の鏡の前に立って言った。
「鏡よ、鏡。この世でいちばん美しいのはだぁれ」
 美しいって言ってほしいのかと思って、白井は雪夫になにか答えようとして息を呑んだら、ばーかそんなこと俺が言うかよって、ツッコんできたことがあった。
 その流れでふたりでじゃれあってたら、じゃれあってることにふたりでわれに返ってしまって、触れていた身体を反射的にずらしたことを思い出す。
 触れるのが怖かった。壊れてしまいそうで。それが雪夫なのか、ふたりの関係の方だったのかよくわからないけれど。

 そんなことを思い出しながら、あの置き配まちがい事件の鏡の前に立っている。

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