小説

『吾輩たちは猫である』洗い熊Q(『吾輩は猫である』)

 野次馬根性で他県から見物人が向かう始末。だが交通機関が真面に機能しない状況で、A市に向かう道路は何十キロの大渋滞。それ見たことかと嘲笑うのは、地元住民にとっては細やかな気晴らしか。

 だが混沌としたA市の中で、一人の初老の男性はこの状況を楽しんでいた。

「あ~よ~しよしよし。こっちにおいで。痛くしないからなぁ」

 彼は猫を一匹ずつ優しく抱き上げては観察する。
 楽しんでいるとは語弊か。そうする事が使命だと信じている。性分と言って構わない。
 それは彼の職業にも現れている。男性は大学教授。だが動植物が専門ではない、社会学が専攻だ。
 誰に頼まれた訳ではない。彼はこの状況を独自に調査を始めていた。費用や報酬などない。市内を廻るだけでもかなりの労力だ。
 でも疲れを見せず続けた。解けない謎に挑む、それが彼にとって快感であり気質なのだ。

 先ずは手当たり次第に空から落ちて来た猫達を直接調べた。
 一匹一匹、優しく接しては抱き上げて観察する。
 最初に生じた疑問。それはどの猫も人を敬遠しない事だった。人懐っこい、明かな嫌悪を示すなど個体差は有るのだが、此方が無理強いを為なければ素直に抱かせてくれるのだ。
 印象としては何か諦めている感じではあった。内心、人に恐れ戦いている、その様な。
 それは周囲の反応にも感じた事だ。他の動物、特に飼い犬達だ。
 気質に関わらず犬達はこの状況に吼えまくって当然。多勢に無勢で怯える犬もいた。
 だが何か吼え方が優しい。いや吼えるのは建前で、猫達の事情を重々承知し犬の立場で仕方なく吼えている。
 事実、見た限り犬が猫達を襲っている現場に遭遇しない。犬達は遠巻きにどうしようもないと事実を受け入れ見守っている雰囲気。おろおろするのは人間だけだ。

 猫を一匹ずつまじまじと見れば不思議な感覚を覚える。
 猫種も柄も様々。歳も幅広い。幼い子猫もいれば立っているのもやっとの老猫もいた。
 毛がぼろぼろと落ちる猫もいた。病気だろうか。足が一本ないのもいる。それでも健気に立っている。片目がない猫もいた。
 事故で潰したのかと思えたが、発見した片目の猫は明らかにくり抜かれた傷口だ。そう見ると片足の猫も不幸な結果でなく、不遇な立場にあったのかも知れない。

 そうだ。猫達にもそれぞれの過去があるのだ。一匹一匹に。
 空から落ちてきた特殊以外、普段変わりない生きてきた道があったのを。
 それが分かると、集団という一括りで同一視することが出来なくなっていた。

 観察と並行して、男性は一区画でどれだけの猫がいるのかを調べていた。市内全体でどれくらいの猫がいるのかを計算する為だ。

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