小説

『吾輩たちは猫である』洗い熊Q(『吾輩は猫である』)

 自動車通勤だが自慢のクーペの上は猫達が占領。それ処か座れる場所なら何処でも猫は座っている。タイヤハウスの狭い間にもいる始末。そこまでして地面は嫌かと思ってしまう。
 ここで派手に追っ払いでもしたら、逃げだそうと踏ん張る足の爪でボディは目も当てられない状態。
 それ程に動物嫌いでもない彼は、やれやれと一匹ずつ抱いては下ろし始めるのだ。
 だが一匹下ろしては、空いたとばかりに別の猫が乗ってくる。二匹一緒に抱いて下ろしては、別の三匹が無理に乗ってくるという展開。
 その内に屈んだ彼の背中にも猫が乗ってくる始末。背中の上でニャ~と鳴かれては彼も溜息を吐くしかないのだ。

 日が高くなれば、猫達の日向ぼっこの場所取り合戦。
 日当たり良好の家の屋根はあっという間に占拠。見渡す限りの屋根という屋根は猫達で寿司詰め状態。
 日が良く当たると言えばソーラーパネル。真っ黒の壁面だったパネル上は斑色の毛玉達に変化だ。
 一切、陽が当たらずで給湯器だって動かずに水しか出ないシャワーにあちこちの家でキャーと悲鳴。
 そんな事など露知らず、一匹の猫が暢気に欠伸をすれば連鎖が発動。欠伸のウェーブが屋根上の猫達に起こるのだ。
 それを朗らかに茶を飲み見つめる爺さん。傍からだと気楽に見ていて良いのかと思えてしまう。

 朗らかに見つめる者ばかりではない。毛嫌いする人間だっている。
 ある家の年配の男性は猫が大嫌いだ。
 近寄るのも怖いとは思っていない。ただ存在自体が嫌いなのだ。自慢の家庭菜園の畑に堂々と侵入して来て、穴を掘っては糞をする。夜には狂った様に発情した鳴き声を永遠と。時折に箒を持って猫を追っ払っていた。
 よって男性の自宅は猫対策は万全。
 家の周りは水の入ったペットボトルの柵。猫避けの薬剤だって散布を欠かさない。鉄壁の牙城だと思われていた。
 だがあの日の猫達はのこのこ歩いて伺った訳ではない。空から落ちてきたのだ。無論、彼の家の空からも。
 つまりは家の敷地に落ちてしまった猫は、その鉄壁を乗り越える術を持たずで留まることしか出来ない。御陰で男性の家はどこの家よりも正に“猫屋敷”に変貌したのだった。
 男性は泣く泣く鉄壁を撤去せざるおえない。それもこれも大嫌いな猫の為にだ。

 
 数日はワイドショーのネタに困らない。何せ傍から見れば面白い状況の街があるのだから。
 “猫に支配された街A市。困ったニャ~”やら“ニャンともカンともならない猫の国となったA市”等の目を惹く見出しも、住んでる人間にとっては腹立たしい処ではない。

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