小説

『勝ち山』外﨑郁美(『カチカチ山』)



 突然の休職から早くも半年が経ち、信子は職場復帰に向けて準備を進めていた。めまいなどの気になる症状も落ち着き、天気のいい日は散歩したりショッピングに出かけたり、もとの信子らしい信子に戻ってきていた。ただ、復職先は異動前の総務局ということで決着した。まずは慣れた環境で再スタートしたほうが信子にとっても負担が少ないだろうという会社の判断だ。

「母さんはそれで納得してるの?」
「納得してるも何も、会社ってそういうものなのよ」

 信子は淡々とそう言った。母も吹っ切れているのだろうか。智は恐る恐る、ずっと聞けなかったことを聞いてみた。

「山下が憎くないの?」
「憎くはないよ。ぜんぜん」
「ぜんぜん?母さん、あいつに部長の座を奪われたんだよ。悔しくないの?」
「悔しいもなにも、あの人に勝っても意味ないわよ」

 思わず感情的になる智に、信子は優しく笑いかける。

「彼も大変なのよ。守らなきゃいけないものが多すぎて」

 信子は達観していた。

「私が山下さんでも、同じように追いつめられていたと思う」

信子は山下を恨んでいなかった。心の底ではどう思っているのかは知ることはできない。けれど母は、山下には山下の正義があることを理解していた。たとえ母と相容れなくても。たとえ今の世間と違う方角に向かっていても。

「山あり、谷あり。いろいろあるけど、自分の道を進めばいいの」

 母はきっと、強いわけじゃない。たくさん出来事にもまれながら、ひとつひとつ乗り越えて、ここまで強くなれたのだ。彼女は次は、どんな山に登るのだろう。きっと誰の山でもない、彼女だけの山だ。

 今日の夕陽はやけに赤い。強く優しく燃えていた。

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