小説

『桜前線停滞中』原カナタ(『桜の樹の下には』)

 目が合った。
 桜の木の色の、瞳が綺麗だった。
 男は少女の頭をくしゃりと撫でる。
「見ているだけで、十分だ」
 男はこの奇跡みたいな光景に満足していた。
 だから、多くを望むこともなかった。
 しかし少女の手が男に伸びる。
 手は男の頭に触れる。
 男の真似をするように、くしゃりと撫でた。
 桜前線にとって、一人の人とこんなに長く時を過ごすことは初めてだったから。普通と違うことが起きたとしてもおかしくはない。
 男は驚いて胸が湧き、頬も熱くなったが、すぐにやんわりと少女の手を振り払う。
「ごめんね、俺は悪い人だよ」
 風が意思を持つことは無いように、桜前線も意思を持つことは本来無い。
 けれど。
 風が背を押すように、桜前線が頭に触れることならばあるだろう。
「君が何を考えているか分からないけれど、表情は分かるよ」
 少女は瞬きもせず、男の瞳を見つめている。
「寂しそうな顔をしている」
 男の考えを、推し量るように。
「そんな顔をさせてしまったのは俺のせいだね」
 瞳の奥が揺れていた。
 言葉を知らない少女は、否と伝えることも出来ない。
「時間切れは、あと数日」
 ニュースでは桜前線の少女の誘拐監禁は連日報道され、大問題になっていた。
 時間が経ち、男の家の桜以外の桜はほとんどが散っていた。
 少女の存在によって桜は咲く。
 二週間後、ほとんどの桜が散った頃、桜が咲き続ける範囲を地図上で結べばその中心に桜前線がいることは容易に知れる。
 男の方も、元々留められるのもおよそ二週間が限度だと分かっていた。
 桜は国花であるため、秘密裏に公的機関が動いていた。
 一般人の多くも憤っていた。
 桜は一人のものではない。
 みんなのものだ。
 桜前線を拉致監禁なんて。
 悪いやつに違いない!!
 世論は怒りに沸いていた。
 それは、よく晴れた日だった。
「今日が最後かな」
 男が少女の頭に触れる。
 歌も踊りもここではほとんどしてくれなかったね。
 けど、いいんだ。
 自分だけに咲く桜が見れたから。
 そう、満足そうに笑う。

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