小説

『桜前線停滞中』原カナタ(『桜の樹の下には』)

 遠くでサイレンが聴こえた。
 警察が押し入って、有無を言わさず男は射殺された。
 赤い血が飛び散った。
 男がその様子を見ていたならば、桜みたいだと言ったかもしれない。
 その姿をみた少女は今まで開くことのなかった口を開いた。
 少女は生命を象徴する。
 歌っても男は起きない。
 少女は踊る。
 踊っても人に花は咲かない。
 生き返ることはない。
 桜前線は歌と踊りで花を咲かせる。
 悲しいことにそれは人間には通用しない。
 死んだら人は笑わない。
 桜前線は人というものが死ぬことを知った。
 そして、自分が存在することで人が死ぬことも知った。
 それを見た桜前線は、初めて人間のような表情をした。
『私は、誰のものでもない』
 よく晴れた日だったけれど、その日は気温がひどく低い日だった。
 急に風が吹き込んで、気温や湿度は変動し、途端に桜前線は見えなくなった。
 そして二週間の間、咲き続けていたことに耐えられなくなったのか、中庭の桜はその日の内に全ての花びらを一度に散らしてしまった。男がいなくなったことを悲しむように、涙のように。
 銃を持った男か佇む中庭。
 大泣きする少女の声を聞いた気がした。

 
 事件以降、桜前線は実体化することは無くなった。
 その後の調べで、男の罪状は『死』という罰は正しかったのかということが議論されることとなる。
 そして贖罪のように男は桜の木の下に埋められた。
 その桜は、綺麗な花が咲くという。
 こうして桜前線は見えなくなった。
 けれど見えなくても、桜前線は存在している。
 桜の咲く場所に少女はいる。
「おじいちゃん?」
「なんだい?」
「この桜がその男の桜だとでも言うつもり?」
目の前には桜の大木。私が生まれるずっと前からここにあると聞いている。天井にはガラス。今は開け放してあるので、暖かい空気が日差しと一緒に降り注いできている。
「そうだよ――って言えたら良いんだけどねぇ。それは分からない」
 私はほぼ確信しているのに、おじいちゃんは正解を濁した。
「主にわたし達の愛する桜の染井吉野は三倍体の植物であり、挿し木でしか増えない。故に全て同じ遺伝子を持っている。これを前提とすれば、この桜は男の桜と同じと言えるかもしれないね」
「まどろっこしいことを言う」
「はぐらかしているからね」
「おじいちゃんは、桜を愛している?」
 おじいちゃんが警察官だったことも、この家を三十年程前に買い取ったことも知っている私は口をつぐむのみ。
「愛しているよ」

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