小説

『夜間清掃』日根野通(『シンデレラ』)

 玄関で私を待っているのは、汚れはじめた白いスニーカー。
 ここ半年はこの景色が続いている。
 玄関の姿見に映ったのは疲れて痩せた40代半ばの女。以前は家を出る時にはメイクをして、知り合いにばったり会ってもはずかしくないように服を選んで着ていたのに、今は身なりに構う事もない。
靴に比例して家の中も汚れて行く。きれいにしないと、そうは思ってはいるものの、その現状に目をそむけてドアの外に出る。
 夫に離婚を切り出されたのは今から半年前。夏が終わりに向かって、秋の気配を感じる季節だった。実り秋などとは遠く、私から色んなものを奪った秋の日だった。
 まさか夫に女がいたなんて、全然気がつかなかった。切り出された時は何より信じられなくて、混乱して、声にならない声をあげた。妻として完璧にやってきたはずなのに。家事も子育てもちゃんとやってきたはずなのに。
女は30代のキャリアウーマン風だった。仕事を通して夫と親しくなった事は想像しやすい。こんな一人でも生きていけそうな女のどこに魅かれたのか。プロポーズされた時は「一生守っていく」と言っていた夫が。
 女は妊娠していた。それが私の怒りに油を注いだ。今となっては話し合いの場で自分が何を言っていたのか、どんな態度を取ったのか思い出せないくらい頭に血が昇っていた。
 それに対して夫と女は冷静だった。あれよあれよという間に二人に有利な条件で離婚の話は進んでいった。いや夫は女に騙されていたのだ。夫は女のいいなりだった。
 夫がローンを払う家を受け取る選択肢もあったが、拒否した。若い女に夫を取られた女として、ご近所から嘲笑われるのは嫌だった。同様の理由で実家に戻るわけにもいかない。大学生の娘の住む地方に移住するほどの気概も残ってはいない。結局は同県他市の有る程度土地勘のある場所に一人アパートを借りて住むことになった。
 娘の学費は夫が払う。娘は自分の生活費はバイトで何とかすると言う。慰謝料も多少はあるものの働かなくては生きてはいけない。だから歩きだそうとした。
 短大を出てから結婚で寿退社をするまで受付をしていた。結婚後はずっと専業主婦。まだ40代、今から始められる事だってあるはず、そう前向きに考えた。
 しかし現実は甘くはなかった。これといった経験もなく40代半ばなった私に世間は優しくはなかった。年齢不問、未経験者歓迎。その言葉はあくまでも企業が求めている人に向けられた門なのであって、望まれていない人間には閉ざされた門であることを知った。
 職業安定所の職員は言う。
「あれも駄目、これも駄目じゃなかなか仕事みつかりませんよ。就業にもブランクあるし、受付の仕事は正社員だと少ないですからね。パートでの募集ならあるかもしれませんが。」
 今まで恵まれた生活をしてきた方だと思うし、それなりにプライドもある。これ以上みじめな思いなどしたくはない。

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