小説

『夜間清掃』日根野通(『シンデレラ』)

 一人になって改めて思う。人間は生きているだけでお金がかかる。とにかく働かなくては。
 結局私は昼に就職活動をするために夜の清掃の仕事に就く事になった。正直納得はしていないが、人に見られる事もないし、主婦の経験も活かせると考えた結果だ。
 だが働きながら何かをするという事はとてつもなく大変な事だという事を思い知った。働きながら子供を育てる人達はどれだけの苦労なのだろう。いつしか就職活動からは足は遠のき、昼間は寝て夜はパートに出るという生活が当たり前になった。職場は多少のいざこざはあるものの、ほとんどが自分よりずっと年上人たちばかり。適度な距離を取っていれば毎日は淡々と過ぎて行く。
私は当初の情熱も失くし、ただ生活するためだけに生きるようになった。

そんなある日の事だった。来週から新しい物件に行くように上司から命じられた。
それは電車で30分ほど進んだところにある老舗デパートだった。
 研修を受けるためにまだ明るい時間に家を出なければならない。明るい太陽の光、活発に行き来する人たち。久しぶりの動いている世の中に居心地の悪さを感じつつも、少しの喜びと期待を抱えて物件に向かった。
 研修は滞りなく終わった。現在受け持っている物件とそうやることは変わらない。道具の保管場所、使用方法、運用ルール等を教わった。
しかし担当の男性は最後におかしなことを言った。
 「佐々木さん、東側の階段の踊り場には気をつけて下さいね。」
 「はあ、何に気をつけるのでしょうか?」
 「いや、過去に東側の階段で事故が何件かありましてね。足を滑らしやすいのか・・・。」
 担当者は言い籠ったが意を決したように口を開いた。
 「4Fと3Fの間の踊り場に大きな鏡があるんですよ。あれに人が映りこむっていう噂がありましたね・・・。だから深夜の清掃の際はなるべく鏡を見ないようにしてください。」
 「それって幽霊とか、そういう話ですか?止めてくださいよ、怖いじゃないですか。」
 「まあ、あくまでも噂ですよ!全員が全員見た訳ではないので安心してください。もし霊感とかあったら、と思って言っているだけですから。」
 後味の悪さを感じながらも、暫くはこの現場で働かなくてはならない。担当者には礼を述べたが、話が終わるのを待っていたデパートの若い女性社員の存在に気がついたのか、私の方など気にも留めず、そそくさと席を立った。
 気を取り直す意味も込め、せっかくだからデパートの中を見て周る事にした。キラキラと輝く売り場。今の私には眩しすぎるくらいだ。発色の良い洋服、艶やかなバッグ、高級な化粧品。
 そんな中ひときわ目を引く靴が目に入った。ガラスのような素材でできたハイヒール。ビジュが散りばめられていてまるで宝石のようだった。近づいてみるとそれは売り物などではなく、ディスプレイされた飾りである事に気がつく。
 天井のライトを一身に浴びているはずなのに、淡い夢のような柔らかい光を纏っている様に見える。それは魅惑的なその靴に触れようとしたその時だった。すぐそばにあった鏡に映った自分自身が目に入った。

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