小説

『夜間清掃』日根野通(『シンデレラ』)

 ここからは良くは見えない。幸運な事に若い娘とその家族は王族に挨拶をする機会を与えられるらしい。大階段の前に並ばされて順番を待つ。
 どれくらい待っただろうか。自分の番が来て下を向いたまま階段を上り、口上を述べて顔をあげると、そこにいたのは見知らぬ王様とお妃様。そして夫だった。
 私と同じく20代の頃に戻った若い夫が目の前にいた。
 言葉もなく目を見張る私にまるで初めて会った人に向けるような敵意のない笑顔を投げかける。従者に促され話もできずに私は押し出された。
 私はただ茫然と壁にもたれかかり、挨拶の列をさばいて行く夫を眺めた。
 列が終り、城内がまた賑わいワルツが流れ始めた時、従者の一人に呼ばれた。
 導かれ、たどり着いた先は大階段の踊り場、夫がいた。
 「私と踊っていただけませんか。」
 そう言う夫に私は困惑と喜びと動揺の入り混じった表情を向けていたのだろう。訝しげな表情を浮かべた夫を見て私は「はい」と言わざるを得なかった。
 私の手を取り、ステップを踏む夫と向き合い、私は気恥ずかしさの中にやはり嬉しさを感じていた。まだこの人は自分の事を愛しているのだ、そう思った。
 「不思議ですね、あなたとは前に会った事があるような気がする。」
 そうでしょう、私たちは夫婦だったんだから。でもあなたが裏切ったのよね。
 「そうですね、私もそう思います。もしかしたら前世で恋人同士だったのかもしれませんよ。」
 「そうか、それはあり得るかもしれませんね。」
 爽やかな笑で夫はそう返した。
 「ならばもし、あなたが私にプロポーズしていたとしたらどんな言葉をいただけますか。」
 少し困ったように思案してから、彼は口を開いた。
 「一生守っていく。」
 その言葉に嬉しさと怒りの相反する感情を巻き起こされた時だった。
 入口からファンファーレが聞こえ、人の波が引き道を作り始めた。その真ん中を一人女性が堂々たる足取りで歩いて来るのが見えた。
 華やかな赤いドレスに高く結いあげた髪。良く伸びた背筋、凛とした表情、美しかった。
 女性は私たちの元へやってきた。よく見ればそれはあの浮気相手だった。
 血の毛が引いた。そしてすぐにやってきた焦り、動揺。
 夫は美しいその女に魅入られたようだ。彼の目にすでに私の姿はなく彼女に向かって歩いていた。
 「私と踊っていただけますか。」
 「駄目よ!」
 自分でもびっくりするくらいの悲鳴に近い声をあげていた。
 突然広間の大時計が鳴り始めた。
二人の無機質な四つの目が私を見る。
 「君はどこから入ってきたのか。」
 夫は冷たい声で私に言い、女は私を汚い物を見るかのような顔で見つめた。
 時計の音が大きくなる。 
 二人の視線に耐えきれず、目を下に向けると私のドレスはどこへ行ったのか、いつもの清掃員の制服になっていた。手をみれば40代の水仕事で荒れた手。恥ずかしさと悔しさで私は走り出した。
 あまりも急いで走り出したため階段で足を滑らせ、私は階段から転げ落ちた。
 時計の音がどんどん大きくなる。私は落ちて、落ちてどれだけの階段を落ちたのか。

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