小説

『駆け込みパッション』もりまりこ(『駆け込み訴え』)

 そしてなんどもなんども湯田とふたりきりのときにクライマックスを練習した。だからリハ通りに遂行した。
 あんとき、<この者の中にあやしいものがひとりいる。その物の口にわれは、パンを押し付ける>って宣言した。ほんで、湯田の口元に一口のパンをおしつけた時の湯田の眼って。
 え? ってこっちが狼狽えた。だから死んでからもずっと覚えてた。だってリハの時には見せなかった、なんていうか、怯えの演技というより告白する前のまじ断られたらどうしよう? でも好きですいうときの眼にそっくりで、それって演技? どっちって感じでおろおろしてたのは俺で。そんなややこしい気持ちのまま、おまえは裏切り者やって名指ししたときのこっちの気持ちは、ほんまにお前こそが裏切り者やいう気持ち満載で言い放ったった。
 こわかってん、あの湯田の感情というか情念みたいなもんが。
 その後は復活するらしいから、湯田の持ってる土地であんじょう暮らしましょってシナリオやったのに、予言はあたらんし俺はしんだままやし。復活なんて、とんでもない。弟子たちはほんきで蜘蛛の子散らすように去って行きよったし。
 でもね、誰よりも湯田のことが気になってたん。

 すっごい後味悪い。後味悪いまま死んだままで。あんとき、ほんまに湯田のことを裏切りもんやってみなしたことが湯田にも気づかれてるんちゃうやろかってごっつう気になってた。なんでかっていうと、ほんまに俺のこと売ろうと、思ってるらしいでって噂を聞いたんよ、街で。でもそれってそういう役回りやから湯田君はって、耳に入れた後もぜんぜん平気っぽくふるまってたけど。だんだん湯田が、俺に持ち掛けたあのシナリオこそが嘘とちゃうやろうかって疑ってたことも事実。

 あの頃湯田もおれも34やったから、けっこうまだそんなに終わってない年齢やってん。なんとなく弟子っこ連れて海辺を歩いて貧しい民にパンとか飲み物とか、ジャガイモの蒸したんのとか、たまに魚とかほどこしたりしてると、なんかへんな高揚感にみまわれて、あかんこんなことでうれしなってどうするねんって思いつつも、気持ちいいことは不快なことより深みにはまりやすいから、ずるずるその気持ち引きずってええ気になってた。
 時々きゃぁって、浜辺で声がするからなんやろう? って振りかえったら、イエス様って民が駆け寄ってきて、まぁまぁおちついてとかいいもって、また妙な気持ちがむくむくして、ふと湯田をみたらなんかつまんなさそうな顔してた。
 ふたりになって今日の布教の反省会をしてるときなんか、役回りとは言え、湯田はなんかおまえだけずるない? みたいな視線よこしてて。桃畑持ちの地主のぼんぼんやったから民への施し班としてよくやってくれて、会計係も兼任してて。でもなんとなく採算が変やなってうすうす思いつつも。それって、湯田君プロデュースでヒール役は湯田君だからま、いいかってなもんで。
 なされるがままで、もらいっぱなし。同い年にありがとういうの照れるやん。
 ありがとうって言葉にするの照れへん?
 あれって、形式やから言えるってところもあるやんか。

1 2 3 4 5 6 7