親父が少しなまりながらそう言うと、絵里は初めて笑った。寝ているおばあちゃんを見守るように仏壇が置いてあるが、そこに飾られているじいちゃんの写真は親父よりも若く、人の良い顔をしていた。
「じいちゃん浮気しそうな人には見えないけど」
「ははは、冗談に決まっているだろ。ばあちゃんが浮気なんて許すと思うか? それに若い頃のばあちゃんはこの辺りじゃ評判の美人でな。じいちゃんはばあちゃんにベタ惚れだったのよ」
「ばあちゃんが美人ねぇ」
俺は眠っているばあちゃんをのぞき込む。しかし、どんなに頑張っても昔美人だったという面影はなかった。
「写真とかないの?」
「うーん、ないな。昔住んでいた家が火事になってな。写真も全部燃えちまったんだよ。火事もじいちゃんが死んだばかりのことだったから、今考えれば当時は踏んだり蹴ったりだったよなぁ」
「ばあちゃんって強いな」
親父は昔を思い出しているのか腕を組み、斜め上の天井をみつめた。
「あぁ、普通に考えれば生きるのが嫌になるような環境だったと思うよ。じいちゃんが病気で死んで、住むところもなくなって、仕方なく住み込みで旅館の仲居をすることになったんだよ。ほれ、あそこ……今のローヤルホテルのとこだ。昔は竜宮旅館っていう旅館でな。でもそこの若女将にだいぶ虐められたみたいだ。ばあちゃんは俺の前ではいつも明るくて少しも気付かなかったけど、後から他の仲居さんに教えてもらって驚いたよ」
「若女将はおばあちゃんが美人でちやほやされていたのが気に食わなかったんじゃないかしら。だっておばあちゃんは竜宮旅館の『をと姫様』って呼ばれていたのよ」
おふくろが言うと親父は得意気に頷き、すっかり母親自慢をする息子の顔になっていた。
「でもな、ばあちゃんのことを『をと姫』と呼んだのはじいちゃんが最初だ。2人の出会いは海でな、じいちゃんはばあちゃんを初めて見た時に竜宮城から乙姫さまが来たと思ったらしい。しかもばあちゃんの名前が『をと』さんときたもんだから、俺の前でも『をと姫様、をと姫様』と呼んでな。ばあちゃんはよく恥ずかしがっていたよ」
俺にとっては生まれた時からばあちゃんなのに、そんな時があったというのは不思議な気分だった。
「をと姫様の息子だから親父の名前、浦太郎なの?」
「そうなんだよ。そのせいで俺がどれだけ学校でからかわれたか。をと姫と出会ったのは親父なんだから、親父が浦島太郎なのになぁ。でもよ、親父は『じいさん』になる前に死んじまって、姫様が皺くちゃのおばあさんになったんだからおかしな話だよなぁ」
「そりゃそうだよ。玉手箱だってないしさ」
親父と俺が笑いあっている中、おふくろだけは笑ってはいなかった。
「お母さん、どうしました?」
心配した絵里が声をかけるとおふくろは言いにくそうに切り出した。
「それが……玉手箱ならあるのよ」
「え?」
そこにいるみんなの視線がおふくろに注がれた。みんなが見ているので哲太も不思議そうにおふくろのことを見ている。
「色々落ち着いたら言おうと思っていたんだけど」