小説

『をと』鴨カモメ(『浦島太郎』)

「嘘だろ? あんなに元気だったのに」
「信じられないだろ? 父さんも信じられんよ。昨日までピンシャンしていたんだ。それなのに今朝ポックリ逝っちまったんだよ」

 電話を切ると絵里が不安そうにこちらを見つめていた。事情を話すとすぐに彼女の目は赤みを帯び、涙がこぼれ落ちた。まだ幼い息子は泣いている母親の頬をぺちぺちと叩いている。
 俺はといえば可愛がってもらったばあちゃんなのに、哀しいとか寂しいとかあまり感じていなかった。実感が湧かないのもあるが、98歳まで生きて誰にも迷惑をかけずに逝ったのだから『さすがだな、ばあちゃん』って感じだ。それにばあちゃんはいつも言っていた。
『迎えが遅くて嫌になっちゃうよ』
 そんなことを冗談交じりに言っていたばあちゃんだから、やっとじいちゃんが迎えに来てくれて喜んでいるんじゃないだろうか。俺は泣いている絵里にティッシュを渡しながらそんなことを考えていた。

 
 俺たちはすぐに支度をして実家へと急いだ。俺の実家までは車で2時間ほどだ。家の近くまでくると車の窓からは青い海が見え潮風が鼻をくすぐる。この香りを嗅ぐと帰って来たって感じがする
「ただいま」
 玄関のドアを開けると、濃い線香の香りが家に充満していた。
「おかえり」
 おふくろは絵里に抱っこされている哲太を見て目尻を下げた。
「いらっしゃい哲太ちゃん。絵里さんも急に呼び出してごめんねぇ」
「いいえ、私にも何かお手伝いさせてください」
 そう言いながら涙をこぼす絵里の肩をおふくろは撫でた。
「ありがとうねぇ。おばあちゃんのために泣いてくれて」
 何も分かっていない息子の声だけが明るく家の中に響く。すると親父もひょいと顔を出して、笑顔で孫に手を振った。親父は思っていたよりも元気だった。
「哲太大きくなったなぁ! ばあちゃん、ほら哲太が来てくれたよ」

 白い布団に寝ているばあちゃんは、頬紅がほんのり色づき、まるで眠っているようだった。
「きれいだ」
 俺が言うと、親父は隣に座って一緒にばあちゃんの顔をながめた。
「そうだろ。しわくちゃのばあさんには違いないが穏やかで幸せそうな顔をしているよな」
 手を合わせるとまだ隣で絵里がすすり泣いていた。
「ばあちゃんは絵里さんのことを優しくていい嫁だっていつも言っていたよ。だが、ばあちゃんも98歳で大往生だし、そろそろじいちゃんにも会いにいかないと。じいちゃんは若くして死んだから天国で浮気しているかもしれないしね」

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